3月12日、双葉町で毎時1590マイクロシーベルト!
さらに事故3年後、福島県は双葉町羽鳥で1号炉爆発前に毎時4613マイクロシーベルト(毎時4.6mSv)を公表!(平凡社新書『東電原発事故10年で明らかになったこと』より)
福島の初期被曝についての重大情報です。
『見捨てられた初期被曝』(岩波科学ライブラリー)と『福島が沈黙した日』(集英社新書)より
福島事故前の適用数値:GMサーベイメータ1万3千cpm≒呼吸による1歳児甲状腺等価線量100mSv(ただしシナリオにより60mSvから250mSvの開きがある)
GMサーベイメータ 10万cpm(針が振り切れる値)≒甲状腺等価線量800~1000mSv。
ところが、政府、県、学者は、10万cpm未満の被ばくについては、心の問題とし、安全のよりどころとした。
(2010年原子力安全委員会で確認された数値。この時の会議の主査代理が明石真言氏(放医研)。この数値に基づき、県のマニュアル対応手順とスクリーニング基準値が作られていた)
3月12日午後3時36分 一号炉爆発
3月12日午後6時 原発から北25km地点、GMサーベイメータで8人測定
1万8千cpmひとり、3万から3万6千cpmひとり、4万cpmひとり発生
3月13日午前4時49分 大熊町のオフサイトセンター(OFC)から放医研への文書
「双葉駅近くで最高255μSv/h観測、双葉地区は高線量地区(10万cpm)
10万cpm程度多数発生(12万人規模の汚染者発生)」当時、OFCには現福島県知事、当時副知事だった内堀雅雄知事と経産省、文科省の人々がいた。ところが福島県も国もその後、わずかな数の甲状腺被ばく測定しか実施せず。
3月13日午前11時、原発から北西45km地点で150人ほど測定
ほとんどの人が数万cpm、12日の爆発時に外にいた人は10万cpmを超えるような汚染
3月13日午後9時、福島医科大が主に双葉町民34人中、8人が1万cpm越えと発表。広島大学の細井義夫教授から『10万cpmで運用するように提案』(10万cpmとは、一歳児甲状腺等価線量で1000mSvにあたる)
3月14日以降 スクリーニング基準を6000cpmから、GMサーベイメータの針が振り切れる10万cpmに引き上げ。1万3000以上でも多くの人がひっかかってしまうため、10万に引き上げたという内輪話。10万以下の人々の記録十分なされず。また、着替えもお湯もなく寒いため除染できず。
3月14日夜、負傷者2人が放射能汚染で救急車での搬送が不可に。明石真言氏、人命救助のため10万cpmを基準にするよう政府に働きかけ。ところが一般住民の10万cpm以下の取り扱いについては、専門家が議論せず。
3月15日 東京に最も濃度の濃い放射能雲が飛来。
3月17日 放医研が10万cpm=0.17mSvで安全、という文書を作成
(根拠:IAEAが2006手順書で皮膚と衣服の除染を1万Bq/cm2としており、240万cpmに相当。10万cpmは20分の1。10万cpmを実効線量当量係数mSv/Bq)から装丁換算するとCs137で56μSv、ヨウ素131で170μSv。数値は独り歩きしてしまうことがあるので、対外的に言わないようにすること、という但し書きあり)
3月21日 厚生労働省「10万cpm未満の者(一歳児甲状腺等価線量で1000mSvに相当)については、保健師が心のケア等を実施し、説明後帰宅」厚労省はさらに、10万cpm超えの場合でも、一番上の上着を脱ぎ、ウェットティッシュで拭くという簡易除染とした。
3月24日から3月30日 中央政府により、1080人の甲状腺スクリーニング検査。関係省庁、100mSvに達した人はいないと結論。放医研の明石真言氏「疫学調査は必要ない」
東京新聞記者に対しての明石氏のコメント『(放射性ヨウ素を)吸っているということは確かに考慮していないです。評価しないで、これを決めたのは事実です。きちんとできていなかったのは、言われた通りです。』
一方、3月中に福島県内では、11万人の体表面スクリーニング検査が行われいたものの、こちらの検査結果は、長瀧座長の裁量で、議論を打ち切り。
5月27日 福島県民健康調査初会合での放射線影響協会(以前はABCC)の児玉和紀氏の提案文書内容(ただし、児玉氏は後の東京新聞の取材を拒否) 1.この程度の被ばくでは甲状腺がんは増加しない、2.行政の対応が適切で甲状腺がんの被ばくを防ぐことができた、3.疾病の早期発見、早期治療、4.人類史上ない形となった低線量反復被曝の健康影響を科学的に検証、5.今後遠くない時期に訴訟となる際の科学的根拠を得る
2011年9月16日 原子力安全委員会の助言で基準を一万3000cpmに引き下げる