Mari Takenouchi, a journalist and the blogger of Save Kids Japan & World Known as a Japanese single-mother journalist covered by Reporters Without Borders in 2014 on the criminal accusation case for a tweet. My twitter account is @mariscontact (under control and rarely gets retweeted) To order a new book by Mari Takenouchi and Dr. Bandazhevsky, send me an e-mail at takenouchimari@gmail.com Twitter: @mariscontact 私の主なブログは以下です!!ご覧ください!!! See my blogs below!! ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

2018年5月3日木曜日

スターングラス博士の秀逸な2011年の動画と2006年のインタビュー! Please watch 2011 videos of Dr. Ernest Sternglass, the great US physicist!

 






私が最も尊敬している科学者の一人、米国の物理学者アーネスト・スターングラス博士について、3・11の10日ほど前に書いていた原稿がありました。博士から送られてきた写真と共に、こちらに掲載します。広島・長崎の被害についての真実と異なる論文を読んだ後に、メインストリームから方向転換したくだりも書きました。3・11直後には、私に、無事を気遣うメールも送信して下さかった方でもあります。博士は残念なことに、2015年2月12日、91歳でご逝去されました。博士の残された世紀の著作ともいえるSecret Fallout は、博士が英語で全文をネット上で公開していらっしゃいます!ぜひお読みください! https://ratical.org/radiation/SecretFallout/
(日本語タイトルは『赤ん坊を襲う放射能』)

(ちなみに私が最も尊敬しているもう一人の科学者は、ベラルーシ出身、現在ウクライナで研究活動を続けているバンダジェフスキー博士です。http://takenouchimari.blogspot.jp/2013/07/721.html)バンダジェフスキー博士の最新論文はこちらから。英語にするタブはついているのと、最近はGoogle翻訳もよくなっているので、日本語に直して読んでみてもよいかもしれません。https://chernobyl-health.org/(English, Russian, French)
https://bandazhevskypaper.blogspot.com/(一部日本語翻訳あり)



スターングラス博士の活動の軌跡



1.アインシュタインとの出会い

スターングラスの最新の著作は1997年に発刊された本で『Before the Big Ban-The Origin of the Universe(ビッグバンの以前にー宇宙の創生)』というものだ。意外なことに、放射線研究とは異なる分野のものである。スターングラス博士はわずか12歳の時には既に、「陽子の周りを回る電子の軌道のサイズはどうやって決まるのか」という疑問を持っていたそうだ。そして大学院生時代に電子に関しての独自の理論を手紙に書いてアインシュタインに送ったところ、驚くことにその一週間以内にプリンストンの自宅に招待されたという。この時アインシュタインはスターングラス青年のもつ理論に感心して耳を傾けながら来客をキャンセルしつつ5時間も話し込んだという。(詳しくはレスリー・フリーマンの『核の目撃者たち』を参照。ちなみにこの時のスターングラスの電子に関する理論は現在では正しかったことが判明している。)

その時アインシュタインが若き日のスターングラス少年に言ったことが、「君の豊かな想像力をつぶさないように、学問の探求を続けなさい。ただ天才は毎日天才でいられるとは限らない。生活のためには地に足が着いた仕事を持っていなさい。そうすればプライベートの学問の探求には間違いをしても大丈夫なように。」だったそうだ。スターングラス博士にとってアインシュタインのこの言葉は非常に役に立ったという。彼の子供時代からの夢であった学問が、宇宙の始まりについて探求することであり、それは半世紀の時を隔てて、独自の理論を冒頭の本に著した。そしてスターングラス博士にとって地に足のついた着実な仕事が放射線の研究であったわけだ。


2.2歳半の長男を失って

スターングラスは1923年ベルリン生まれ。両親とも医師で、スターングラスが14のときにナチスの迫害を逃れて米国に渡った。16歳のときコーネル大学に入学し、電子工学を学ぶ。その後海軍に志願し、攻撃艦隊に乗って日本に出向しようとした時、広島に原爆が落とされる。

1947年、スターングラスにとって人生の転機が訪れる。ひとつは冒頭にある、アインシュタインとの出会いだが、スターングラス青年は、アインシュタインがルーズベルト大統領に原爆製造を勧める手紙を書いたことに大変な罪悪感を感じ、この上もなく不幸であることを知る。この時、スターングラス青年は、自分の仕事は、核兵器の危険性を大衆に警告することが自分の人生の一部になるであろう事を感じたのである。同年に起こったもうひとつの非常に大事な出来事が、生まれたばかりの長男が、遺伝性障害があったことだった。結局その子は二歳半で亡くなってしまい、この時スターングラスは皮膚科の医師であった父がX線を過剰に受けていたのが原因かもしれないと疑う。(1920-30年代は、ニキビや白癬病にX線を施すのが一般的であったという)

1952年、スターングラスは、米の原子力二大企業のひとつであったウェスティングハウス社に入社、低線量で使えるX線装置、宇宙撮影のための受像管など原子力計測機器の開発に携わり、月衛星計画の責任者にまでなった。

この間、スターングラスにとって放射線の危険性に気付かせるいくつかの出来事があった。ひとつは、1957年にオックスフォード大学予防医学科主任のアリス・スチュワート博士によって発表された妊婦へのX線透視により小児白血病やガンが増えているという研究であった。1961年、核戦争の恐怖が高まっていた時期に、スターングラスは死の灰が健康に及ぼす危険について研究を行い、核実験により乳児死亡率と小児ガンの発生率に重大な増加があることを発見し、妨害されながらも1963年、サイエンス誌に発表。おりしも同年、ケネディー大統領による部分的核実験禁止条約の批准に向けた議会公聴会が行われ、スターングラスは低レベル放射線の胎児への影響について発表をしたのであった。


3.広島の論文がキャリア変更の動機に

1966年の終わり頃、ウェスティングハウス社に在籍したまま、スタンフォード大学で理論物理学の仕事をしていた時、スターングラスの手元に広島・長崎についての研究論文が届き、そこには、「放射能を余計に浴びた親から生まれた子供に、白血病やその他の被曝による影響がより多く見られることはない」とあった。しかし、論文では、爆心地から2000メートル以内にいた両親と、2500から3000メートル以遠にいた両親の子供を比較しており、郊外に落ちた死の灰の影響が考慮されていなかった。

この時、スターングラスは、大衆が死の灰による放射線の影響について知らされずにいる状況を放っておくわけにはいかないと強く感じ、放射線が胎児に与える研究に没頭しようと決意する。おりしもその年、スターングラスはペンシルバニア州ピッツバーグ大学放射線科主任から移籍を依頼されていたのであった。


4.原爆をダイナマイト代わりに!?

ウェスティンハウス社でのキャリアを全て捨てた翌年の1967年、早くもスターングラスの活躍の場がやってきた。当時、米国は原爆を平和なものに見せるために「プラウシェア計画」というものを推し進めており、現在では考えられないことであるが、原爆を全米各地でダイナマイト代わりに使おうとしていた。そのひとつとして、広島型原爆をペンシルベニアの真ん中の地下900メートルで爆発させ、天然ガスの貯蔵空間を作ろうとする計画があった。スターングラスは知り合いの新聞編集者に頼まれて、米国東部一帯における白血病とガンの急増を計算して論説を書き、さらに200-300人の聴衆のいる会合で発言したことがきっかけとなり、市民らの大規模な反対運動が起こり、知事の署名まで済んでいた計画は中止となる。


5.原子力委員会内部造反のきっかけとなる

1969年、妨害にあいながらもスターングラスは、核実験による死の灰のために全米で約40万人の乳児が死んでいるという研究論文を発表し、大きな反響を呼ぶ。ちょうどその頃、弾道弾迎撃ミサイル計画を議会に通過させようとしていた原子力委員会は、スターングラスの論文を委員会管轄下の研究所全てに送って反論を準備しようとしていた。そこでこの役目を引き受けたのが、原子力委員会のローレンスリバモア研究所の副所長兼生物医学部長のジョン・ゴフマン博士と部下であるアーサー・タンプリン博士であった。

しかし、この体制側の中枢にいた二人の科学者は、犠牲者の数は40万より少ない4000人であるとしながらも、原子力委員会の意向に反し、核実験によって数千人の乳児が死んだと発表したのだった。(ゴフマンによると、スターングラスのこの時の数値のほうが、数年後になって正しかったことが判明したという。当時原子力委員会は、数千人という乳児犠牲者数を、あまり大衆が読まない専門誌にのみ発表するようにと説得したが、両博士はそれに従わず、公けにした。その後、ゴフマンとタンプリンは、許容量以下でもガンの発生は被曝線量に比例して起きるものであり、公衆に対する被曝量は、十分の一、もしくは、ゼロに引き下げるべきであると、原子力委員会に対して公然と批判するようになる)


6.原子炉からの放射能でも乳児死亡

ウェスティングハウス社でガス冷却原子炉の仕事にも携わっていたスターングラスが、本格的に原子炉に対する信頼を失ったのは、1970年のことだった。原子炉からの公になっている放出放射能の数値をたまたま知り、その量の多さに仰天したのであった。この時、スターングラスが注目したドレスデン原発は、米国で火力発電と競争できるくらい安価で、構造がより単純な沸騰水型原子炉であったが、原子炉に近くなればなるほど赤ん坊が多く死亡しているのを発見したのである。特に原発の排気塔から出る放射性ガスによる発達中の胎児の肺の発育不全は深刻な問題であった。(この研究は、日本のI.M.モリヤマによっても行われている。)また、原発からの排水が流れる川の下流でも、乳児死亡率が増えていた。原発よりも放出物が桁違いに多い再処理工場にいたっては、160kmも離れた下流でも、増加が見られていた。

スターングラスのこの発見は、デグルート、レイブ、ラインハルト、ケイ博士など複数の科学者により確証されたが、彼らの研究は、政府高官による圧力で出版を目前に原版が破棄されてしまったという。問題は沸騰水型原子炉に限られていなかった。1973年、かつてスターングラスが勤めていたウェスティングハウス社の初の商業用加圧水型原子炉であるシッピングポート原子炉でも周辺における乳児死亡率が上昇していた。公聴会で説明をしていたスターングラスは、低線量の死の灰で、なぜ乳児死亡が増加しているのかとの質問に、「ペトカウ効果」を理由として言及している。さらにスターングラスは、当局がもともと死亡率の低い地域での統計を巧みに利用し、原発周辺で死亡率が高くなっていないように見せかけていたこと、この原発で事故隠しが行われて放射能が放出されていたことを知ることになる。また原発労働者に放射線によって引き起こされやすいガンが多発していることも知り、公聴会で証言を行う。この原発は1974年に水素爆発事故を起こし、運転停止となるが、その2年後には、乳児死亡率は最低値に減少したのであった。


7.米国における学力低下

この頃、米国では、反原子力市民団体が結成されるようになる。さらにスターングラスは、放射能の被害は乳児死亡率に限らず、一般の人口にも見られることを発見した。1975年、米国では18歳の青年が受ける学力試験の結果に、大変な落ち込みが見られた。スターングラスは、この青年たちが生まれた1957年に、ネバダで最大の核実験が行われ、乳児死亡率と先天的欠陥の増加がもたらされていたことを知っていたので、放射能の影響があったせいではないかと疑い、教育心理学者スティーブン・ベルと協同で研究を行った。その結果、核実験の風下地域で生まれた子供たちに顕著な学力低下が見られたことがわかったのであった。このように、死の灰が死亡率を増大させるのみならず、一見健康な子供たちにも影響を及ぼしていることに気付いたスターングラスは、ますます社会全体への放射能による影響を案ずるようになるのである。


8.スリーマイル島原発事故と隠蔽劇

1979年もスターングラスにとって忘れられない年である。ペンシルベニア州のスリーマイル島原発事故が発生、その翌日にスターングラスは現地での記者会見に呼ばれるが、おりしもその朝、母親から体調不良という電話が来るのである。迷った末、スターングラスは母を兄に任せて記者会見に出席、(電力会社が危険はないと否定する中)妊婦と幼児の即刻退避を勧告した。そして同日、スターングラスは、母が急死してしまった事を知らされるのである。スターングラスの母親は、産科・小児科の医師であり、スターングラスの発見に常日頃心を痛めていたという。スターングラスは母のことを想い、「このようなときでも、自分がおそろしく困っている人々の役に立つことを望んでいたに違いない」と自分に言い聞かせたのであった。スターングラスの主張した退避勧告は翌日になって(遅すぎたのではあるが)知事によりなされ、スターングラスは自分の努力がまったく無にはならなかったことを喜ぶのである。

事故後、スターングラスは独自の調査により、200-300人の乳児過剰死があったと結論づけている。ただし、公式発表では、スリーマイル事故による健康被害は心理的なものだけで観測できる増加はないことになっており、この当局の発表の後、スターングラスは、ABC放送の「グッドモーニングアメリカ」で独自の見解を述べる予定になっていた。しかし、番組出演は直前になりキャンセルとなってしまう。スターングラスの見解は、事故当時ペンシルベニア州保健局長だったゴードン・マクロード博士にも支持されていたが、事故の影響を率直に発表しようとしたマクロード博士は解雇されてしまっていた。

当局によるごまかしや隠蔽の証拠はいくつかあった。当時の知事と政府高官との会話は、後に報道機関に漏れており、原子力規制委員会が公表された数値より実際の線量が高かったことを示していたし、さらに幼児死亡数の統計の改ざんもが二人のテレビ記者によって発見されている。また、州の最終報告書を見ても、原発周辺で事故後に乳児死亡率が急増していることは、その結論とは裏腹に、データから見て取れるものであった。

その後、スターングラスはスリーマイル島事故のエピソードを『Secret Fall Out(邦題:赤ん坊をおそう放射能)』に詳しく記した。『赤ん坊をおそう放射能』を出版した氏は、テレビやラジオを始めとするマスコミや、講演会、各国の委員会などで話をするようになったという。


9.「放射線と公衆衛生プロジェクト」の誕生




スターングラスにとって第2の転機ともいえることが、そのような講演会でのJayM・グールドとの出会いであり、その後のスターングラスの活動を大きく広げることになる。環境保護局の科学諮問委員会の委員をしていた著名な統計専門家であり、ビジネスマンとしても成功を収めていたグールドであったが、70歳近くになって、環境と健康問題に自分の専門家としての知識と資材を投じようと決心していたのである。化学汚染物質と米国住民のがん罹患率の研究を行ったグールドは、化学汚染物質だけでは説明のできない別の要素が絡んでいることを見出す。この時スターングラスがグールドに、放射能とがん罹患率の相関関係を調べるように薦めたのである。そして始めは懐疑的であったグールドも、調査を進めるにつれ、核施設の風下でがんの発生がみごとに増加していることを見出したのであった。

この発見は『低線量内部被曝の脅威ー原子炉周辺の健康破壊とえきがく的立証の記録』として発表したまた、スターングラス博士はグールド氏と共に非営利団体、「放射能と公衆衛生プロジェクト」(RPHP)を設立し、科学顧問として活動を続けた。 
 
(グールド氏は2005年、スターングラス博士は2015年に残念ながらお亡くなりになりました。以下のスターングラス博士の写真は、竹野内に直接メールで生前、送られてきたものです。博士の本を翻訳していて、いろいろやりとりをさせていただきました。。。以下はスターングラス博士からのメールです。3.11の後も、いろいろ気遣っていただきました。。非常にお優しい人格者です。)
 
Dear Ms. Takenouchi,

Two days ago, I received your invitation to join your professional network on ResearchGATE, and I was glad to do so. It also made me glad to believe that the recent earthquake and tsunami did not affect you. But this morning when I wanted to discuss with you how my introduction to THE PETKAU EFFECT should be modified in the light of the recent disaster, I realized that this invitation was not e-mailed directly by you, but by the ResearchGATE team in Berlin, so suddenly I am worried about your well-being! Now I am very anxious to learn whether you are well, so please send me an e-mail or give me a call on my telephone, 607-375-6620.

With best wishes,

Ernest Sternglass

Ernest Sternglass erneststernglass@twcny.rr.com

2011年3月20日(日) 23:46


To 自分
 
    


  http://www.e22.com/atom/page08.htmより

「僕と核」
    (2006)

 

8. スターングラス博士インタビュー


こで、スターングラス博士にお話をお聞きしたいと思います。彼は、原子力の本場アメリカで、60年代から、核実験や原子力発電による低レベル放射能の影響を訴えて続けて来た、数少ない科学者の一人です。2006年の二月には念願だった来日を果たし、青森県の六ヶ所村も訪ねています。

こんにちは、今日はよろしくお願いします。

S博士「まずはじめに、日本には55基もの原子炉が運転しているのを知ってるよね。」

、、、はい。

S博士「それに、ほとんどが海岸沿いの国土の2割程度の面積に人口が集中していて、原発も割と近くに配置されている。だから、日本政府が2003年度に発行した、過去100年の日本人の死因の推移を見たとき、あまり驚かなかった。」

と言いますと。

S博士「日本では、戦後の50年で、がんの死亡がずっと増え続けている。1900年台の前半は、がんはそこまで存在しなかった。日本に原爆が落とされて、アメリカ製の原子力発電所が導入されてから、一気に増え始めたのだ。今でも日本にある原発の八割がアメリカ製だ。」

はい。

S博士「そして、本場のアメリカで分かって来たことが、原子力発電所というのは、公に発表されているよりも、ずっと大量の放射性物質を放出しているということだ。大半は、細かい分子になった、核の分裂によって産まれる物質で、大気や海に放出されている。核分裂生成物というやつだ。」

はい。これが、自然放射線と混同されると、訳分からなくなりますね。

S博士「その通りだ、そもそも自然放射線というのは、海抜0メートル付近では、0.8 から1mSV(ミリシーベルト)が普通であって、それ以上はラドンなどごく特定の地域しか関係のないものや、0.15mSVほどのカリウムなどを大げさに数えている場合が多い。しかも、ほとんどの自然放射線が外部被ばくを起こすガンマ線で、体の中の特定な器官に蓄積して内部被ばくを起こすものじゃない。ストロンチウム90やヨウ素131などの放射性物質は、体の中に入り込むのと、それと同じ量を地面にばらまいたのでは、威力が全然違うのだ。」

分かります。

S博士「ヨウ素131は、ほとんどが一週間の半減期だが、これは首にある甲状腺に集中する。甲状腺というのは、体全体の新陳代謝をコントロールしていて、多くの器官が甲状腺のホルモンによって動いている。だから甲状腺が壊れると、大人だと、甲状腺に異常が生じたり、がんになることがある。また、ストロンチウム90は骨に集中する。これはカルシウムと似ているためで、カルシウムは、骨をつくったり、神経の伝達にも欠かせない。要するに、脳みその働き、考える力に貢献している。よって、ストロンチウム90が引き起こす問題というのは、あまり知られていないのが、カルシウムと同じように骨だけじゃなく、脳にも入り込んで、神経にダメージを与えるため、特に脳の発達に支障をきたすようになる。」

赤ちゃんですね。

S博士「赤ちゃんもそうだし、お母さんのお腹の中いる胎児のときからだ。それに、脳みそは10代まで発達し続ける。だからそこに問題が生じると、普通の読み書き、理解する力、計算する力、全体的に影響を受けてしまう訳だ。健康な脳みそをつくる過程でだよ。」

母親は知っておくべき情報ですね。

S博士「これは、本当に伝えなければいけないことだ。繰り返すが、ストロンチウム90やヨウ素131は自然には存在しないもので、ウランやプルトニウムが核分裂を起こしたときのみ、産まれるのだ。原子炉の中で起きていることは、原爆の核分裂が起こす環境破壊と同じなのだ。つまり、核実験などが広めた汚染を、原子力発電所がそのまま引き継いだに過ぎないのだ。」

なるほど。

S博士「これは数年前にJournal of American Medical Associationで発表されたばかりなんだが、妊婦が歯科医でX線を数回受けただけでも、散ったX線が、ヨウ素131のように甲状腺に影響を与えて、それが早産につながる確率が数割高くなることが分かった。こうした未熟児は、現在の医学ではほとんどを救うことができるのだが、X線のせいですでに脳の発達に影響が出てしまっている。それが思考力や、集中力の欠如に表れる。脳の発達に支障をもった未熟児は、自閉症になる可能性も出てくるのだ。」

このように器官に集中する放射性物質は、どのようにダメージを与えているんですか?

S博士「ヨウ素131の場合、ガンマ線というのは、X線と一緒で、とても強いエネルギーを持った光を出す。そして、ベータ線は電子なんだが、数ミリしか飛ばなくても、臓器に埋め込まれると周りの細胞を破壊する訳だ。変異を起こしたり、遺伝子を傷つけてしまう。そして、フリーラジカルが産まれる。フリーラジカルとは、マイナスの力を帯びた酸素分子で、寿命も一瞬なんだが、これがプラスを帯びた細胞の粘膜に引き寄せられて、穴を空けてしまうので、大変なことだ。これらのことは、60年代の後半から70年代にかけて分かったことで、原子力発電を始めたずっと後の話だよ。」

はい。

S博士「初めての原発が1942年のシカゴだったから、そのおよそ30年後に分かったことだよ。もう一つ興味深い発見だったのは、X線などの強くて短い刺激がつくる多くのフリーラジカルは、実はお互いとぶつかり合って、そこまでダメージを引き起こせないんだ。これを、私は『混んだナイトクラブ効果』と呼んでいる。分かるだろう、狭い空間に人が入りすぎて、身動きが取れないのだ。これで分かったことが、X線などが与える、自然放射線の一年分に値する1mSVほどの一度の衝撃は、思ったほど効果がなく、同じ量を一週間、一ヶ月の間に分けて微量を受けた方が、細胞あたりのフリーラジカルが少ないために、ずっと大きなダメージを与えるのだ。」

そうなんですか。

S博士「このことは、衝撃だった。つまり、X線や原子爆弾のように、集中された強い放射線よりも、永続的な低レベルの放射線の方が、ダメージは100倍から1000倍も大きいことが分かったのだよ。」

なるほど。

S博士「我々はヒロシマやナガサキで集めたデータを信じきってしまったのだ。原爆は、主にガンマ線と中性子線を一瞬で放出したから、本当に強くて大量のエネルギーを放出した。ましてや、その頃はフォールアウト(『死の灰』と訳される)のことも良く分かっていなかった。要するに、長期的な低レベル放射能の影響を、今日でも、完全に間違って計算しているのだ。2003年にイギリスのクリス・バズビー (Chris Busby) 氏らが、ヨーロッパのECRR機構(European Commission on Radiation Risk) に頼まれて、原子力発電所のリスクについて過去50年の様々な論文やケースを完全に洗い直したところ、同じ結論にたどり着いたのだ。我々は、低レベルの内部被ばくによる影響を、少なくとも100倍から1000倍、過小評価して見積もっているのだ。」

はい。

S博士「もう一つ言いたいのが、ストロンチウム90は骨に入って、強い電子を放出する。骨髄では赤血球と白血球もつくられているから、ここで異常が起きると、白血病を起こす。また、白血球というのは、体のありとあらゆる病源と戦っているから、白血球がちゃんとつくられないと、これは大都市で警察のストを起こすと犯罪率が一気に高くなるようなものだ。分かるね。ストロンチウム90が白血球を壊せば、体中にがんが起きても止めることができない。ストロンチウム89の半減期は50日で、ストロンチウム90の半減期は28年だから、体に蓄積されていくものだ。」

そうですか。

S博士「さきほどの低レベルの放射能の話に戻るが、人々が間違いを犯した原因のひとつに、放射線によるがんの治療による。これは動物実験で、一週間おきに集中した放射線をあてれば、健全な細胞は元に戻るということから、放射量を細かく分ければ、体には影響が少ないと信じられていたのだ。ところが、内部被ばくの場合は、少ない量でも常に体の中にある訳だから、慢性被ばくと言っても良い。これが何十年間と蓄積されると、ストロンチウム90のように白血球が壊されていけば、肺炎やさまざまな感染が起き易く、免疫力が激しく低下することに繋がるのだよ。」

では、質問を変えます。
原子力発電所は、すべての排出物をモニタして、環境もモニタして、すべては安全だと言います。何がいけないのでしょうか?

S博士「何回も言うが、0.1~0.2mSVほどのX線の影響と、核分裂生成物を比べて、影響を少なく見積もりすぎているから、誤った安全の基準を適用しているところが間違っている。2005年に発行されたUS Academyの論文には、『どんな微量の放射能でも、必ず何らかのダメージを与えている。無害ということなどない』と書かれているくらいだ。一時期、『微量なら健康に良い』と信じられていたのもまったくの間違いで、『一定値以下なら安全』と信じられていたことも、間違いだった。これはようやく最近、世界中で発表されている論文で認められてきたことだ。更に、1000倍もダメージを少なく見積もってものだから、0.1mSVだったものが、実質的には100mSVと同じダメージを加えているのだ。」

これらの核分裂生成物は、化学的にフィルタすることってできるんですか?

S博士「完全には無理だ。中空糸フィルタやイオン交換樹脂など、どんなにテクノロジーが進化しようと、完璧なフィルタなど存在しない。例えば、アルゴン、クリプトン、キセノン、ラドンなどの希ガスは、化学的にフィルタすることはできない。トリチウムなども水分と同じような性質なので、なかなかフィルタできない。モニタリングは、結局、役割を果たしていないのだ。自然界はストロンチウム90やヨウ素131をつくらないから、自然放射能と比べるのはおかしい。更に、X線などは刺激が短か過ぎる。だから、安全だと思っていた放出量が、実はそうではなかったということだ。」

それでも、核実験からの残量放射能が減って来ていて、今では食物に含まれている値も示していますが。

S博士「良いかい。基本的に原子力発電所が自ら検出して発表しているデータはそこまで信用しない方が良い。電力の生産があがるほど、放射性物質の排出はぜったいに免れられないのだ。それに、原子力発電所がどのくらい排出しているかを心配したり論議するよりも、人間にどのくらい入って来ているのかを検出する方がずっと早いのだ。私たちの90年代の研究で分かったことは、アメリカで原子力発電所の近くに住んでいる子供たちの乳歯から検出されたストロンチウム90は、かつての核実験の時代と同じくらい高くなってきているということだ。これは原子力発電所が放射性物質を出し続けている確固たる証拠だ。このプロジェクトもアメリカの政府がデータを公表しなくなったために、独自で始めたのだ。ストロンチウム90の値は、すでに胎内で蓄積されていることが分かることと、ストロンチウム以外の放射性物質も入って来ていることを裏付けるから大事な訳だ。これらはすべて、いわゆる通常の運転で起きていることだよ。」

それは日本にも言えることですか。

S博士「繰り返すが、日本の八割はアメリカ製の原子力発電所であるからして、まず間違いないだろう。原子力発電所の放射性ガスや放射性物質の粒子は、日本の美しい山脈に降り注ぎ、それがきれいな湧き水に混入して、田んぼや畑、飲み水に入って行ってしまうのだよ。風がどっちに吹いていようが関係なく、これがいちばん起こりうる被ばくの方法で、私はこれが日本でがんが急増している要因のひとつだと考えている。ちなみに、ロレン・モレーが日本で集めた乳歯のサンプルからもストロンチウム90が充分なレベル検出されている。これはどこで産まれたか、どこで育ったかによって大きく異なるし、もっと大規模な研究が必要だが、アメリカと同じような状況であると予想される。小児がんを主に、健康な発育が妨げられる確率が数割は高くなるということだ。もちろん、放射性物質による害は成人にもあてはまることだ。」

そうなんですか。

S博士「ついでに、もう一つ重大な話をしよう。ストロンチウム90から出来るのが、イットリウム90だ。これは骨じゃなくて、すい臓に集中する。すい臓というのは、糖尿をおさえるホルモン、インスリンを分泌しているから、ここに異常が出ると糖尿病になる。世界中で、糖尿病が急増しているのは知ってるね。日本は、すでに人口の割合から言えば、アメリカの二倍もいる。そのアメリカだって、イギリスより率が高いのだ。日本では、戦後から現在にかけて、すい臓がんが12倍にもふくれあがっている。50年代の終わりにドイツの動物実験で発見されたのが、ストロンチウム90が電子を放出してイットリウム90になると、骨から肺、心臓、生殖器などに移動するのだが、すい臓に最も高い集中見られたのだ。インスリンがうまく生産されないようになって、血糖値が上がってしまうのだ。今までは放射能が糖尿病と繋がっているなんてまったく認知されていないのだ。これで分かっただろう、国際放射線防護委員会(ICRP)は、当初、放射能の影響として、特定のがんと奇形児くらいしか認めなかったのだ。未熟児、乳児の死亡や、肺、心臓、すい臓、これらの部位への影響はすべて無視されてきたのだ。」

はい。

S博士「民間エネルギーの最初の原子力発電所は、ピッツバーグに57年に、私が15年間勤めたWestinghouse社によって建てられた。私たちは、汚い石炭の発電所よりも、安くて、きれいなエネルギーだと思っていた。微量の放射性物質が逃げても、大したことないと思っていたのだが、それは大間違いだった。これと同じ原子炉が、今でも日本でたくさん稼働している。70年代にカナダのエイブラム・ペトカウ (Abram Petkau) 博士が発見した、低レベル放射能によるフリーラジカルの影響を、未だに反映できていないのだ。フリーラジカルの性質を分かっていなかったのと、放射線量と人体への影響が比例的な関係だと勘違いしていたのだ。低レベルで起きる様々なことは、ヒロシマとナガサキの生存者を調べただけでは、まったく予期できなかったのは当然のことだ。」

はい。

S博士「だから、原爆の生存者や、X線のデータによって計算された国際的な許容量はまったく間違っている。これは、原子力発電所が大規模に建てられるようになって、何十年も後に分かったことだが、誰もその過ちを認めることが出来ずに、今日まで来てしまった。その理由の一つとして、すでにウラン鉱山に巨額の投資がされてしまっていたことがあるだろう。だから、ウランの利益を受けている人たちは、過ちを認めないどころか、それを絶対に隠したいのだ。ウランは核分裂以外には役割がないから、それがただの粉末のゴミになることを本気で危惧しているのだ。世界中の政府や企業、イギリスの皇室などが所有しているウランは、原子力発電所が他の燃料で動くようになったら困るのだ。」

日本企業もかなり先行投資していますよね。他の燃料と言いますと?

S博士「天然ガスだ。天然ガス発電に切り替えれば、なんと、設備投資の7~8割は無駄にならない。天然ガスはあと数十年は持つと言われているから、その間に自然エネルギーを開発すれば良いのだ。コロラド州のフォート・セイント・ブレイン (Fort St. Vrain) は、すでにこの成功例だ。原子炉だけを閉じて、天然ガス用のボイラーを横につくって、タービンの建物など、ほかのものはそっくりそのまま使えたのだ。そう、原子力はお湯を沸かしているだけだからね。原子炉の中の水も放射能を持っているために、配管が錆びて出てくる鉄、マンガン、コバルトなどにも中性子がぶつかって、普通の元素まで放射性になって大気に飛び出てしまうのだよ。これが体内にも必要な物質の場合、放射性の鉄分だって血液に入ってしまう訳だ。」

原子炉を解体しただけで、その付近は大丈夫なんですか?

S博士「そうだ。その証拠にコロラド州は、あらゆるがん、小児がんの率が全米でいちばん低いのだ。解体すれば、新しい核分裂や放射性ガスを止めれば、燃料自体は、まだ残っているが隔離することはできる。それが素晴らしい点だ。もちろん、完全に廃棄するにはたいへんなコストがかかるよ。これはもっと大変な問題だ。だから、原子力産業は、古くなった発電所を解体する巨額のコストを考えていなくて、将来のコストを少なく見積もりすぎているのが、大問題だ。でも、運転を止めることさえすれば、せめて新しい放射性ガスが発生することは抑えられるのだからね。」

環境的には、それがいちばん良い訳ですね。

S博士「とりあえずは、だ。その代わり、何万年、何億年と放射能を持つ核廃棄物をどうするのかを、まだ誰も解決できていない。何故かというと、長い時間が経つと、地下に埋めようが、山に埋めようが、放射線が缶から漏れ始めることが分かっているからだ。缶が空気中のバクテリアに侵されて行くからだ。そうすれば、今度は地下水が汚染される。」

はい。

S博士「環境的な問題はそれにとどまらない。日本のロッカショで起きようとしていることは、全国の55基分の廃棄物を集めるから、どうがんばっても大量の放射性物質を大気と海に捨てることになるだろう。そうすれば魚も死ぬし、近辺の入江に生息する貝や生物が放射性物質を吸い込んで、人間と同じように免疫力が低下して行って、死んでしまうのだ。60年代に核実験が盛んに行われていた時期も、北大西洋では、魚が激減して、核実験が終わったあと、一気に元に戻った。決して乱獲のせいなどではなかったのだ。このことは、今でも世界中の原子力発電所の近くで起きている。クジラやイルカも、川に流した放射性物質によって、みんな影響されているのだ。」

何度も言いますが、それでも原子力発電所は、海への放出をフィルタして、ちゃんとモニタしていると言いますが。

S博士「だから、そんなフィルタがあれば、固形の廃棄物の心配だけで済むから嬉しいよ。でも現実的には、一部の放射性物質しか取り除けないことは、実績で分かっているのだ。しかも、事故や人為的ミスの可能性も計算にいれてなくても、この状況だ。過去には放出しなくて済んだ放射性物質も、大量にあった訳だ。スリーマイル、チェルノブイリ、これらは、世界中に多大なるインパクトを与えたのだ。我々はチェルノブイリが起きた翌年のアメリカでも、統計データとEPAによるストロンチウム、ヨウ素、セシウムの測定量から、数万人規模で過剰な死者が出たと考えている。」

そうなんですか。

S博士「特に日本の場合は、地震国だということを忘れては行けない。日本の面積にあれだけの原子炉が集中していることと、ロッカショの再処理工場の最大の問題点は、さきほど言ったように全国の燃料棒を集めてプールにいれていることだ。これらは、本当に強い、本当に高レベルの廃棄物で、なんかの拍子に、このプールの冷却水にもしものことがあったら、大惨事では済まないことになるだろう。」

、、、質問を変えます。
なぜ、人間はそのような強い放射性物質を扱うことになったのでしょうか?

S博士「まず、自然の中で人間が経験してきた放射性物質は、カリウム40だけだ。これは体内に入っても、骨など、どこにも集中しないし、放射線量はストロンチウム90より多くても、体に蓄積もされないから、割とかんたんに体から抜けて行くのだ。地球ができたときに、ウランやたくさんの放射性物質ができたが、どれもストロンチウム90のようにカルシウムに化けて、核分裂生成物が体内に蓄積されるようなことはなかった。一部のアフリカの地下の鉱山の例外をのぞいて、核分裂の連鎖反応は自然ではぜったい起きないのだ。」
(註:20億年前に西アフリカにあるガボンのウラン鉱山で自然核分裂があったとされる)

はい。

S博士「例えば、普通の水の中にある水素は、宇宙線の影響でトリチウムになることがある。トリチウムも、特定の部位で濃縮されない。人間は、自然放射線の中で進化してきたが、これらも体に蓄積はされなかったし、フリーラジカルを長い期間にわたって体内に取り込むこともなかったのだ。海の中に微量に存在するウランも同じことだ。1938年に人間が核分裂を発見してから、すべてが変わってしまったのだ。」

分かりました。
では、日本は島国ですから、海の汚染についてもう少し詳しく教えてください。

S博士「海を守ることは、とても大事なトピックだ。我々が予測できなかったエピソードをもう一つ、教えてあげよう。昔、科学肥料が海に流れ込んで、藻が異常発生すると、魚貝類の酸素を奪ってしまうと疑われていた。その結果、酸欠になった魚や貝が死んでしまう訳だ。ミシシッピ川が流れ込むメキシコ湾で藻が大量発生したときは、窒素、つまり酸化窒素を含む化学肥料が原因だと思われていた。でも最近、新たに分かったことは、キセノンやクリプトンなどの放射性ガスのエネルギーが、大気の酸素と窒素を反応させて、酸化窒素をつくることが分かったのだ。雨が海に運んでくる土砂が化学肥料と同じ役割を果たして、間接的に魚の酸素を奪ってしまうのだよ。この容量で、原子力発電所は、酸化窒素だけでなく、酸素原子が三つくっついたオゾンもつくっている。つまり、原子力発電所が藻の激増に繋がっていることも、誰も予想できなかったことの一例だ。」

そうですね。

S博士「だから、発電所が出す液体廃棄物は、始めは誰もが海は広いし、とても深いので、人間社会にはまったく影響がないと計算していた。しかし、先ほどから言っているように、微量だから大丈夫ということは決して有り得ない。また、Busby氏らの発見が論文で細かく発表されたように、海に放出した放射性物質は、必ず波に乗って浜に返ってくる。イギリス、ウェールズ、スコットランドの原子力発電所付近の砂浜でも、このことが確認されたのだ。日本でもきっと同じことが起きているだろう。海水で薄まると期待していた放射性物質が、波に運ばれて返って来て、それが雨にも混ざって、また土の中にも入ってくるのだ。」

それでも、魚からは放射性物質が検出されてないと言われますが。

S博士「だから、まずそれは安全値がニ、三桁ずれたままだからだよ。もちろん遠洋の魚の方が、放射線を受ける量が少ないし、日本は遠洋漁業が多いから、まだ安全な方かもしれない。それでも、50年前の安全基準が残っていることが問題だ。たいていのガイガー・カウンターは分かり易いガンマ線を計っているだけで、アルファ線やベータ線のことは計れないので、これにはもっと複雑な機械が必要なのだ。」

そうなんですか。

S博士「ガイガー・カウンターは、砂浜にたまったガンマ線を読むことはできるが、魚のアルファ線やベータ線などの正確に計るには、魚の肉や骨をとって、化学的に調べる必要がある。これには大変な技術と計算力が必要になるのだよ。化学的に分離させた液体を、放射線検出用のシンチレーション計数管に通すのだから。つまり、骨にたまるストロンチウム90のように、いちばん強力で、いちばん厄介な放射性物質ほど、かんたんな計器では探知できないのだ。」

はあ。

S博士「分かったかい?原子力発電所ができてから30年後に、ペトカウ氏が発表して初めて分かったことがあったように、知らなかったことが多過ぎたのだ。ひとつの細胞が放射線を受けると、周りの細胞が影響を受ける『隣人効果 (Neighboring Effect) 』のことも知らなかったし、いろいろなことだよ。我々は、世界を壊してしまうような原子爆弾をつくってしまった償いとして、原子力発電を急ぎすぎたのだ。」

どういうことですか?

S博士「核分裂が発見されたとき、多くの物理学者は大学の研究室を出て、マンハッタン・プロジェクトに参加した。当時はヒットラーが世界的な脅威だったからだ。ドイツに原爆を渡してはいけない、と。同じことがイギリス、フランス、ロシアでも起きた。そのうちに、スターリンが出て来て、今度は冷戦が始まって、多くの物理学者は核戦争を避けるためにと、核爆弾の開発に一生を捧げたのだよ。と同時に、そんな軍事目的に利用されただけで死ぬのは良心が耐えられなかったのだろう、アイゼンハワー大統領が提唱した『平和な核利用』のアイディアに皆が飛びついたんだ。アイゼンハワーは、『クリーンな原子力』をつくる原子力発電所を世界中に売り込もうと躍起になって、物理学者はそれを喜んでその手助けをした。ヒロシマとナガサキで起きたことや、人類を滅亡させる核兵器をつくってしまったことへの罪悪感のためにね。」

とても興味深いです。
でも彼らは、放射能の影響を予知できなかったのですか?

S博士「そのときは、本当に経験とデータが少なかった。いろいろな不幸が重なって、今の状況をつくってしまったのだよ。多くの人は、核爆弾がないと不安でしょうがなかった。私の孫みたいに、お気に入りの布団がないと眠れないのと一緒でね。共産主義が世界を食い尽くしてまうのを止めるには、核爆弾が必要だと本気で思ってたのだ。これが核の軍拡の原因であり、それに乗っかって、アイゼンハワーがきれいなエネルギー政策と称して原子力を勧めたものだから、誰もが信じきってしまった。日本の場合は、国民がたいへん丁寧できれい好きだから、モクモクと汚い煙が出る発電所と違って原子力は魅力的だったに違いない。」

では、これだけの知識が今あって、それを知っている専門家も世界中にいると思うんですけど、根本的なところで変えて行けると思いますか?

S博士「これが実は難しいのだ。何故かと言うと、大学の研究室などのリサーチのほとんどは、政府の補助金で成り立っているからだ。その政府が、原子力発電はクリーンだと信じ切っていたものだから、今になって過ちを認めたくないのだ。例えば最近でも、コネチカット州の原子力発電所で問題があったのが分かっているにも関わらず、微量だから問題ない、と繰り返すだけだ。EPA(米環境庁)も、原子力産業を守ろうと、必死になっているのだ。石炭による発電が産むスモッグや水銀と違って、クリーンなエネルギーだと言う、昔の謳い文句そのままだ。でも水銀では、爆弾はつくれない。分かるかい。」

それは、今だと強く言われてますよね。二酸化炭素を排出しないから良いんだと。

S博士「それはいつの時代も言われてることだが、でも、本当は、ウラン鉱山の採掘、ウランの運搬、ウランの濃縮、多くのエネルギーを使って、石炭を使ってウランも濃縮すれば、世界のCO2排出量は、原子力発電所を増やすことで解決できないことは、誰の目にも明らかだ。その上に、今知られているウランの埋蔵量もたった数十年でなくなってしまうことを、誰も気にとめていないようだ。現在では、石炭が排出するガスを地中に送り返して岩に変えることによって、CO2の排出を防ぐ方法も出て来ているのだ。」

石炭が見直されてるのは聞いたことあります。

S博士「その他にも海洋エネルギーや、地熱エネルギー、風力、太陽、沢山方法はあるし、水素だけでもさまざまな活用法がある。これを原子力産業がひた隠しにしているのだ。ウランに莫大な投資している人たちが、新しい発電方法の浸透を防いでいるばかりか、健康への害も隠している。私が何十年も経験して来たことだが、体質的にモラルを忘れた産業だと言わざるを得ない。」

一般の人へのメッセージとして、自分の健康を守るには何をおすすめしますか?

S博士「アメリカでは記録を公表することも止めてしまったので忘れられてしまっているのだが、原子力発電所付近の農場がつくった牛乳は、まず飲まない方が良いだろう。また飲み水は、逆浸透装置を使えば、ほとんどの重い放射性物質はフィルタすることができる。本当は行政がやれば良いことなのだが、コストが高過ぎるのだ。」

それでは、今日はここまでにします。ありがとうございました!

S博士「ありがとう。ほかに質問があれば、何でもきいてくれ。」

   
 アーネスト・J・スターングラス博士 (Dr. Ernest J. Sternglass)
1923年、ベルリン生まれ。
14才の時に家族とアメリカへ移住。若き頃に、既に世界的権威だったアインシュタインと議論を交わし、科学の志を新たにする。1960年から1967年は、ウェスティングハウス社の研究室でアポロ月面科学ステーションプログラムの局長を務める傍ら、アメリカの大気圏核実験に反対するようになる。彼が国会で発表した研究の成果は、ケネディ大統領が'63年にまとめた部分的核実験条約(PTBT)の締結に大きく貢献した。(ケネディはその僅か三ヶ月後に暗殺されてしまう)70年代に入って、今度はそれまで安全だと信じていた原子力発電所の危険も公に問うようになる。'81年に出版した「Secret Fallout: Low-level Radiation from Hiroshima to Three Mile Island」 (邦題:赤ん坊を襲う放射能)は、低レベル放射線研究の代表的な本となった。1983年よりピッツバーグ医大、放射線医学名誉教授を務める。過去にスタンフォード大学、インディアナ大学、フランスのアンリ・ポアンカレ大学、ジョージ・ワシントン大学、コーネル大学で放射線医学と物理学の教壇に立つ。1995年より、Radiation and Public Health Project (放射能と公共健康プロジェクト)局長。
(photo by Leuren Moret, Februray 2006, Japan)