2013年4月14日日曜日

チェルノブイリ地震説についての考察

チェルノブイリ原発事故は実は地震で引き起こされていた!?

 
 



事故前に、原発震災を防ぎたいと、竹野内真理、チェルノブイリ地震原因説の企画をNHKの良心的と言われるディレクターにもっていったが、むげに断られていた。
 
チェルノブイリのように、制御棒が最後まで入らずに、核暴走事故になったらどうなるのか。私は、日本にもその可能性が大いにあると思っています。誰もそれを語っていないが。チェルノブイリだって直下の地震が引き起こした説もあるのです。
 
すなわち、制御棒が最後まで挿入されずに核暴走につながる場合です。その場合は、みなさん、ベントなんて悠長なことは言っていられませんよ!数分以内に、有無を言わさず、中のものが大放出されてしまいます!この危険性を言う人がいないのがおかしい!

と思っていたら、NHKでも放送された97年のデンマーク国営放送によるチェルノブイリ地震説の番組の文字お越しを掲載している人がいました。(福島事故の後でさえも、まったく専門家ではなく、こういう個人でしか、言ってくれる人がいないとは。日本は末期症状です。)

http://blog.goo.ne.jp/kimidoriaoi/e/8e43a243d75a1e959032071e38fc6d74
 
 
ところで、私が信頼している70年代から一貫して地震と原発問題で原発に反対し、東大と闘ってきた地質学者、生越忠氏がチェルノブイリ地震説は信頼性があると話しています。私もいろいろ調べて、かなり信頼性が高いと思っています。
 
(今中哲二氏がむきになって否定するのも、怪しいと思う理由ではありますが)
 
数年前にいろいろ調べたメモ書きが以下にあります。
 
2009年ごろ、NHKに企画も持っていきました。林勝彦氏にひどい仕打ちを受けた後、今度は、よさそうなディレクターをと思い、選んで企画を持って行ったNHKディレクターはお二人で、1994年に既にCIAや正力の部下の柴田の関与を含めた(どこから情報を得たのだろうと少し不思議)ドキュメンタリー『原発導入のシナリオ』を制作した、東野真ディレクターとチェルノブイリの秀作をいくつも出し、福島事故後のETVの番組で文化庁芸術祭大賞、日本ジャーナリスト会議大賞などを受賞した、七沢潔氏。
 
七沢氏が「なぜあなたは、こんなに詳しいのですか?」私に尋ねました。とても怪訝な表情をされていたのを覚えています。
 
私は、自分がもともと、原子力資料情報室にいたこと、最近は地震と原発問題に長年取り組んできた生越忠氏の自宅に通い詰めて情報を集めていることを説明し、「近々、原発震災事故が起きてもおかしくありません。起きる前に、番組をぜひ作ってほしい。まだ事故は起きていない。どうにかNHKで番組を作り、世論を動かし、事故を防ぎたいのです!原発震災が起こってしまったらどうしようもないのです。」と懇願したが、本当に、不思議なくらいけんもほろろでした。NHK文化センターでの面会でしたが、窓から夕陽がちょうどがさしていて、お二人の表情が、まったく無感動だったのを覚えています。落胆して帰りました。


以下が当時書いていたメモです。 

黒は竹野内も論文を読み、科学アカデミー論文に書いてあったとして確認してOK, 赤は生越忠先生書いたもので、どうやら別の文献も調べたのか、科学アカデミーの論文には書いてないもの、青は竹野内が論文を読んで追加。

 

1986426日 (以下の時系列の参考文献は何でしょうか?生越先生の緑の冊子における2ページ目の記述と10ページ目の記述に、数秒の誤差があるのはなぜでしょうか?以下は10ページ目の記述によるものが中心)

 

012335秒:地震発生

012338秒:運転士、冷却池取水口あたりが振動し始めるのに気づく。

012339秒:地鳴りのような音に続いて事故原発の原子炉施設全体が強く振動

012340秒:原子炉管理責任者、制御棒挿入のため、AZ-5のボタンを押す。その2,3秒後、制御棒が最下部まで届かず、途中で止まってしまったのが確認される。

012342秒:原子炉管理責任者が強い振動に気づき、原子炉運転緊急停止ボタン(AZ-5)を押すことを運転員に命令。(同じ生越氏の論文2ページの記述では制御棒ボタンを押したのは、40秒となっている。)それによって制御棒が降下し始めた。

012345秒:振動さらに強くなり、制御棒が最下部まで届かないうちに止まってしまった。

012349秒から59秒:チェルノブイリ爆発、つまり少なくとも爆発の10秒前までに地震が起きた可能性。可能性の高いのは16秒前。

012348秒:炉心の圧力が急上昇し始めたが、この時点では、原子炉の爆発はまだ起こっていなかった。

012355秒:振動がいっそう強くなり、その衝撃によって柱が俺、タイルが落下し、機械室の内部で光がきらめき、窓ガラスが割れたりするなどの自体に立ち至ったため、発電所はコントロールを失うと同時に止まってしまった。

012358秒:原子炉が強い揺れに見舞われ、ついに爆発を引き起こした。

0139分:2度目の大爆発(ただし、この爆発の地震計の記録はない)

014055秒:上記の爆発に続き、2度目の爆発があった。(2ページ目の記述では、この爆発は39分頃となっている。

 

分析の結果、爆発の前に地震が起きていた事がわかる。というのも、地震の波形と爆発の波形は異なること、また、1995年と1996年に計測したチェルノブイリ原発のサイトにおける地震による波形が似ているからである。ちなみにウクライナとベラルーシの地震計は、チェルノブイリ事故前の微小地震を感知するほどの精度はないもので、記録には残っていない。

 

1986427日 ソ連政府、「チェルノブイリ原発事故処理委員会」を設置

1986430日 ソ連政府、「ソ連原子力発電所事故調査特別委員会」を設置

19867月   ソ連KGB、国内主要機関に対し、「事故の新の原因を明らかにする情報は絶対に公表してはならない」という秘密司令を出す。(これの情報源は?)

1986825日 ソ連政府、原子炉低出力試験中に運転員が違反操作を行なった事を原因とする、チェルノブイリ原発事故についての報告書をIAEA専門家会議に提出。

 

198699日 日本の原子力安全委員会が、上記の報告書に基づいた「ソ連原子力発電所事故調査報告書(第一次)」を取りまとめる。

 

1987729日 チェルノブイリ原発元運転員らに有罪判決

1988427日 「チェルノブイリ原発事故処理委員会」の責任者であり、クルチャトフ原子力研究所副所長であった核物理学者レガソフ氏が自殺

1988127日 ソ連南部のアルメニア共和国でM=6.8、死者24817人のスピタク地震発生。

198812月 ソ連のルコーニン原子力発電相、地震の被害は受けなかったものの、スピタク地震の活断層南端から12-13kmのアルメニア原発の稼動中止を決定。また、地震危険地帯(アルメニア、グルジア、アゼルバイジャン、ミンスク付近、オデッサ付近、グラスノダール付近)で建設中ないし計画中の6つの原発の建設を中止すると発表。

1990年 事故の直前に地震示す記録が明らかに(何がきっかけ?)

19911月 ソ連原子力産業安全関し国家委員会の特別調査委員会がソ連邦最高会議のチェルノブイリ原発事故調査委員会の司令を受け、「ソ連原子力発電所事故調査報告書(第二次)」を取りまとめる。原因は第一次とは異なり、原子炉設計の欠陥及び責任当局の怠慢によるもの。(日本の原子力安全委員会は、第二次報告書に基づいた報告書は現在までまとめていない)

1995年 チェルノブイリ地点での地震が事故の原因という論文を書こうとし(証拠は?)、結局発表を断念したた地球物理学者、M.チャタエフ氏、消息不明に。

1995年        モスクワのロシア科学アカデミー、キエフのウクライナ国立科学アカデミー地球物理学研究所、および同アカデミー地球物理学研究所の合同調査班により、チェルノブイリ事故原因説の調査を行い、直前の地震が誘発したと結論。

199565日 上記ニュース、タス通信で配信

199566日 上記ニュース、 毎日新聞記事に。

1996年        同調査班による報告書、上記3研究所、専門家10名の共著として公表。

1997年        ミルトンメディア及びデンマーク国営第2放送局が「隠された要因-ショッキングな真の要因の新しい証拠(The Secret Factors-Sensational New Evidence of the Real Cause)」と題するドキュメンタリ番組を放送。(デンマークでの反応は?)

1997815日 NHK教育テレビで上記の番組に基づいた日本語版の番組を放送。(小出五郎さん{2003年、全くの別件で竹野内は一緒に仕事した事があります。今でも連絡取れます。}も、地震説を否定することは出来ないと言っていた。)

 

 

 

チェルノブイリ原発立地点における諸問題の考察(生越氏が書いたもの)

 

1. プリピャチ川の河岸に位置し、地下水位が高く、湿潤状態。

2. プリピャチ断層という大きな断層(何Km?)にほぼ沿って流れている。(世界の原発全ては、川や海のほとりに立っているのであり、地形的要素や湿潤状態など、同じような地理的要素があるのではないのだろうか?だとしたら、チェルノブイリの他の号機で同様の事故が起きなかったのは、何の疑問も持たないが、今まで世界4百数十基中の他の原発で目立った事故が起きていないのは、全くの幸運ということなのか?)

3. 立地点はプリピャチ断層及びテテロフ断層という2つの活断層の接合点付近に位置しており、現在でも微小地震が発生している。

4. 立地点付近は、活断層の州という言うべき地域になっており、上記の二つの活断層のほかにも、多くの活断層がいろいろな方向に密集して走っている。

5. デンマーク国営放送の番組によると4号機の敷地に合った断層が地震時に変位して起こったものという考え方を明らかにしている。

6. 4期の全期間を通じて垂直変位が40m以上に及んだ場所も知られている。

7. 新第3期から第四期にかけて活動した断層の多くは、断層面がまだ十分に癒着していないので、断層面に沿って香水、融雪水や空気が置く不覚まで浸透し、風化がかなり進行している。

 

 

    当時のソ連当局は、事故発生直前に地震があったことは記録にも正しくとどめられている動かしがたい事実であるにもかかわらず、この事実を頭から否定し、チェルノブイリ地点一帯は地質学的に安定した場所なので、地震が起こるはずはないと主張した。

    一部の専門家は(誰?)事故原発で事故が発生する直前にその付近に地震があったことを否定し、その理由を発電所内で作業に従事していた技術員が地震の発生自国を誤って記録したことによるものとして説明した。しかし、当時発電所ないにはクォーツ時計が備え付けられていて、事故発生の約一時間半ほど前の4252400分に正確に時刻を合わせたばかりだったのであるから、誤って記録したということは考えられない。

    ソ連政府は1985年、事故原発の立地点の西方約100kmないし、180Kmの距離におけるウクライナ楯状地の3箇所に地震観測所を設置し、核実験のモニターのために地震観測を開始した。ここで観測された地震の記録は一斉非公開になっており、事故の原因調査に関わる科学者たちに公開されたのは、事故発生後、9年を経過した1995年のことであった。

 

?追加の質問-以下のチェルノブイリ地震説の否定説をどう思いますか?

 

チェルノブイリ原発立地点について(ロシア科学アカデミー英文の論文を読み、竹野内が追加)

 

MAGATE(ロシア政府からIAEAに提出されたチェルノブイリ原発事故に関する報告書)の勧告としても、付近の地震活動の情報を設計時にきちんとされるべきであったとされている。しかし、付近の地震活動のみを注視していたため、施設の設計とかみ合わせた調査は、十分になされなかったと言う。

 

チェルノブイリ付近でやっと本格的調査がされ始めたのは、1991年になってからであり、この新たな調査の結果として、チェルノブイリ原発が地域にある二つの断層(南プリピャチ断層とテテレフ断層)が交差する上に立っている事が発見された。

 

宇宙からのテクトニクスマップと地域の地震形態より、Neogene-Quaternary期に活動していた断層であることがわかった。特に微小地震が数多く見られる地域は(チェルノブイリ事故当日の地震波とは言っていない)、チェルノブイリから10から15km離れた地域である。(竹野内注:反対論者、カルパン氏は(わざと)混同しているのか!?)

 

この地域での近くに溜まったひずみは、深いテテレフ断層によるものだが、この一帯の岩石圏においていたるところに活断層が存在する。

 

  TV番組用の構成案
 





 

内容

材料および論点


チェルノブイリ事故当時

当時の映像

被害の実態


デンマーク国営放送による「地震説」

ミルトンメディア及びデンマーク国営第2放送局が「隠された要因-ショッキングな真の要因の新しい証拠(The Secret Factors-Sensational New Evidence of the Real Cause)」と題するドキュメンタリ番組を放送


小出五郎氏による教育テレビでの上記放送

小出五郎氏の意見(中立的立場)-地震説が真実かどうかの確証は未だにないが、同時に地震説が真実でないとする否定要因もない。


生越氏による検証

生越氏の意見-地震説は真実だと考える。

1.(地図とCG)立地点はプリピャチ断層及びテテロフ断層という2つの活断層の接合点付近に位置しており、現在でも微小地震が発生していると同時に、立地点付近は、このほかにも、多くの活断層が様々な方向に密集して走っている。

2.(地震計と核実験の映像)ソ連政府は1985年、ウクライナ楯状地の3箇所に地震観測所を設置し、核実験のモニターのために地震観測を開始した。ここで観測された地震の記録は一斉非公開になっており、公開されたのは、事故発生後、9年を経過した1995年のことであった。ただし、事故当時のソ連当局は、事故発生直前に地震があったことは記録にも正しくとどめられている動かしがたい事実であるにもかかわらず、この事実を頭から否定し、チェルノブイリ地点一帯は地質学的に安定した場所なので、地震が起こるはずはないと主張した。

3.(イメージ映像)当時のソ連KGBは国内主要機関に対し、「事故の真の原因を明らかにする情報は絶対に公表してはならない」という秘密司令を出していた。

4.(写真と記事)1988年、「チェルノブイリ原発事故処理委員会」の責任者であり、クルチャトフ原子力研究所副所長であった核物理学者レガソフ氏が自殺

5.(映像と記事)88年、ソ連南部のアルメニア共和国にてM6.8の地震発生、死者2万人超。この年、ソ連政府、地震危険地帯(アルメニア、グルジア、アゼルバイジャン、ミンスク付近、オデッサ付近、グラスノダール付近)で建設中ないし計画中の6つの原発の建設を中止すると発表。

6.(写真と記事)チェルノブイリ地点での地震が事故の原因という論文を書こうとし(証拠は?)、結局発表を断念した地球物理学者、M.チャタエフ氏、消息不明に

7.(当時の映像)95年、モスクワのロシア科学アカデミー、キエフのウクライナ国立科学アカデミー地球物理学研究所、および同アカデミー地球物理学研究所の合同調査班により、チェルノブイリ事故原因説の調査を行い、直前の地震が誘発したと結論

8.(クォーツ時計映像)一部の専門家は事故原発で事故が発生する直前にその付近に地震があったことを否定し、その理由を発電所内で作業に従事していた技術員が地震の発生時刻を誤って記録したことによるものとして説明した。しかし、当時発電所ないにはクォーツ時計が備え付けられていて、事故発生の約一時間半ほど前の4252400分に正確に時刻を合わせたばかりだったのであるから、誤って記録したということは考えられない

 

 
内容
材料および論点
チェルノブイリ事故当時
当時の映像
被害の実態
デンマーク国営放送による「地震説」
ミルトンメディア及びデンマーク国営第2放送局が「隠された要因-ショッキングな真の要因の新しい証拠(The Secret Factors-Sensational New Evidence of the Real Cause)」と題するドキュメンタリ番組を放送
小出五郎氏による教育テレビでの上記放送
小出五郎氏の意見(中立的立場)-地震説が真実かどうかの確証は未だにないが、同時に地震説が真実でないとする否定要因もない。
生越氏による検証
生越氏の意見-地震説は真実だと考える。
1.(地図とCG)立地点はプリピャチ断層及びテテロフ断層という2つの活断層の接合点付近に位置しており、現在でも微小地震が発生していると同時に、立地点付近は、このほかにも、多くの活断層が様々な方向に密集して走っている。
2.(地震計と核実験の映像)ソ連政府は1985年、ウクライナ楯状地の3箇所に地震観測所を設置し、核実験のモニターのために地震観測を開始した。ここで観測された地震の記録は一斉非公開になっており、公開されたのは、事故発生後、9年を経過した1995年のことであった。ただし、事故当時のソ連当局は、事故発生直前に地震があったことは記録にも正しくとどめられている動かしがたい事実であるにもかかわらず、この事実を頭から否定し、チェルノブイリ地点一帯は地質学的に安定した場所なので、地震が起こるはずはないと主張した。
3.(イメージ映像)当時のソ連KGBは国内主要機関に対し、「事故の真の原因を明らかにする情報は絶対に公表してはならない」という秘密司令を出していた。
4.(写真と記事)1988年、「チェルノブイリ原発事故処理委員会」の責任者であり、クルチャトフ原子力研究所副所長であった核物理学者レガソフ氏が自殺
5.(映像と記事)88年、ソ連南部のアルメニア共和国にてM6.8の地震発生、死者2万人超。この年、ソ連政府、地震危険地帯(アルメニア、グルジア、アゼルバイジャン、ミンスク付近、オデッサ付近、グラスノダール付近)で建設中ないし計画中の6つの原発の建設を中止すると発表。
6.(写真と記事)チェルノブイリ地点での地震が事故の原因という論文を書こうとし(証拠は?)、結局発表を断念した地球物理学者、M.チャタエフ氏、消息不明に
7.(当時の映像)95年、モスクワのロシア科学アカデミー、キエフのウクライナ国立科学アカデミー地球物理学研究所、および同アカデミー地球物理学研究所の合同調査班により、チェルノブイリ事故原因説の調査を行い、直前の地震が誘発したと結論
8.(クォーツ時計映像)一部の専門家は事故原発で事故が発生する直前にその付近に地震があったことを否定し、その理由を発電所内で作業に従事していた技術員が地震の発生時刻を誤って記録したことによるものとして説明した。しかし、当時発電所ないにはクォーツ時計が備え付けられていて、事故発生の約一時間半ほど前の4252400分に正確に時刻を合わせたばかりだったのであるから、誤って記録したということは考えられない
 

 

チェルノブイリ地震説を否定する人の見解

(竹野内注:こちら、専門の生越先生にも後で見ていただき、意見してもらう予定です。いずれにせよ、先生は、「反原発の人たちも地震説に対し、根拠もなく否定している態度が非常におかしい!」とおっしゃっています。私も今回地震説の反論をちょっとだけ読んでみてどうもおかしいような気がしています。)

ニコライ・カルパン(KARPAN Nikolay Vasilievich:専門は原子炉物理。旧ソ連の核秘密都市であったクラスノヤルスクやトムスクで働いたあと、1979 年からチェルノブイリ原発に勤務。チェルノブイリ事故が起きたときは、原発の副技師長であったが、発生現場には居合わせなかった。旧ソ連最高会議の指示により、1991 年に事故原因の見直しを行ったシュテインブルグ委員会のメンバー。現在は、ウクライナ原子力規制委員会の嘱託。キエフ在住。(竹野内注:つまりこの方は、立場としては過去も今も原子力推進者

 

チェルノブイリ事故の原因が地震であったと私が最初に目にしたのは、「技術青年」誌の1996 12 月号に掲載されたヴィターリ・プラヴディフツェフの「チェルノブイリ:10 年後」という論文だったが、80歳を超えている彼は事故の開始時刻を15分以上間違えていた。(竹野内注:こちらの論文は割愛します。元の論文を生越先生も読んでいないので。しかし、著者は80歳だから、間違ったことを書いているのではと揶揄しているあたりは、大変ロジカルでなく、また品位のない反論だと私は思う。いずれにせよ、この論文はまだ読んでおりません。次の論文が生越先生の検証済みです

 

1997年ロシア科学アカデミーの地球物理合同研究所、ウクライナ科学アカデミーの地質物理研究所と地質研究所の研究者グループが再びこの問題を取り上げたが、軽率な部分あり。たとえば、論文では、地震が発生した時刻は1時23 39±1秒とされている(秒単位の確かさで!)。この場合、震源距離の不確かさは±10kmとされているが、これを地震到達に関する誤差にすると±3.4 秒に相当する(10kmを地震波の表面速度V=2.9km/秒で割った値)。その他、論文には、地震計の設置されていた場所において、地震波が記録された時刻が示されていなかった。つまり、著者が示している結論の検証が困難であった。何年か後(2000 年)、同じ著者たちがチェルノブイリ事故を再び取り上げている[3]

「弱い地震(MRU=2.6MS=1.4)がチェルノブイリ原発地域にある3カ所の地震観測所で記録された...地震波の予備的な解析によると地震動は自然によるものである」。著者によると、震源までの距離の誤差は、±10km[2]±15km[3]とされている。この誤差は、事象発生時刻にも少なくとも(1±5.3)秒の誤差がともなうことを示しているが、そのことは以前と同じく著者の注意を惹かなかった。(竹野内注:科学アカデミーの著者らは、地震発生時刻はチェルノブイリ地点での発生の4秒前の35秒としているので、この人が勘違いしている気がする。きちんとオリジナルの科学アカデミーの論文は読んだのだろうか?地震は専門外の人(原子炉物理で地震は門外)のはずだが、このような人が科学アカデミーの地球物理学専門のエリート数人で書いた論文に果たして反駁できる力があるのだろうか???おおいに疑問である)

 

、振動と唸り音が6~8秒間あったという証言がある。しかし、それが確かに1時2339 秒にはじまったという記録はない(論文では何も確認されていない)。「唸り音と振動の出現」を“分”の確かさで記憶した人は発電所にはいなかったであろう。なぜなら、それに引き続く爆発は人々を別の問題にまき込んだからだ(証言では1時15 分から1時25 分の間、運転日誌では1時24-25 分である(竹野内注:この部分を読むとカルパンご本人こそ、矛盾したことを言っている。というのも、カルパンの結論は、「爆発における様々な事象と比べると、時系列的に地震が後だ」という主張であり、この主張はまさにあのパニックで頼りにならない運転員の記憶に基づいているからだ。)

 

この地域で震度7の地震はありえない。(竹野内注:ところでこの震度は日本の震度とは違う単位。いずれにせよ、ロシア科学アカデミーは震度2だったといっているのだが、カルパンさんの勘違い。。。?

 

チェルノブイリ原発は設計地震で震度5、最大想定地震で震度6まで耐えられるように出来ていた。(竹野内注:推進側の設計上大丈夫だ安全だという理論を事故後にさえ主張するのは非常におかしい。上記は机上の設計における限られた話で、起きてしまった事故の理由・説明にはならないはず。想定外で起きるのが事故であり、また様々なファクター(共振現象、機器の劣化、中性子脆化、各機器の固有振動の差異、また直下の地質・地盤の問題)に全く触れずにこのような結論を出すのはおかしい。

 

チェルノブイリ原発と震源との位置関係を考えると、原発に地震が到達したのはちょうど1 23 45 秒となる。そうすると、先に述べたように、(1 23 43 秒に)原子炉での破壊的な事故プロセスがはじまった直後に地震がやってきたことになる。つまりは、1986 4 26 日に地震観測ステーションで記録された事象は、チェルノブイリ原発4号炉事故にともなう局所的で強力な震動(衝撃や爆発)であったことを示している。(竹野内注:ロシアアカデミーの著者らは、地震発生の時刻を12335秒、そしてチェルノブイリ原発への到達時刻を12339秒としているので、これも論外の議論である。だいたいカルパン氏は、結論の中でなぜか震源が原発から10から15km離れたことにしているが、科学アカデミーの専門家は東にわずか1kmとしている。いずれにせよ、到達時間推定の元となる震源地を特定するのは地震の専門家でさえ難しいはずだ。にもかかわらず、原子炉物理が専門のカルパン氏の、「推定震源地との距離の計算により、地震が事故の直後に来ているので地震説間違いの根拠である」と強弁する態度は、非常におかしいのではないか?

 

 

 

 

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