2013年4月26日金曜日

ふくしま集団疎開裁判棄却について柳原弁護士のお話し~きっこちゃんのブログより

まずはこちらを参照ください。

 
ふくしま集団疎開裁判で子供たちを被ばくし続けさせる殺人裁判官

(国際司法裁判所に付託願い決定の人々)

→福島地方裁判所、郡山市支部:清水響(裁判長)、安福幸江、遠山敦士


仙台高裁、裁判官名→佐藤陽一裁判長、鈴木陽一裁判官、小川直人裁判官

 

きっこちゃんのブログより転載

http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2934.html

 

<ふくしま集団疎開裁判>「判決文を読み解く」柳原弁護士の解説4/24(会見書き出し)


ふくしま集団疎開裁判「仙台高裁が却下」を受けて
小出裕章氏&松崎道幸氏のコメント4/24(会見書き出し)

動画はこちらにあります↑→http://www.ustream.tv/recorded/31892201


2013042411.jpg

14:32~
柳原
きょう12時過ぎに仙台高等裁判所から事務所の方に連絡がありまして、
裁判所の判断、これの判決、ま、決定というんですが、仮処分の事件なので、
出ましたので取りに来てほしいという事で、それでいろいろと手続きをしまして、
その後この判決内容を入手して、
実は検討に時間がかかりまして、参加に遅れて申し訳ありませんでした。

先ほど井戸弁護士の方から内容があったかと思うんですが、
もう一回私の方から今日の判決について報告させていただきます。


一言で言って、今回の判決は私や先程の井戸弁護士も含めて、
普通の法律家にとってみたら狐につままれた様な判決です。
と言いますのは会い番署の判断の理由が大きく二つ分かれていまして、
前半がいわば総論部分です。
福島の、郡山の子どもたちがどの位被ばくの危険があるかという、一般的な判断で、
後半がそれを踏まえて今回の申立人の子どもたちが避難する権利があるのか、
避難させる義務はあるのかという事の個別の判断ですが、
前半の総論の判断ではさっき言いましたように、
このまま郡山市、福島県に子どもたちがいては、彼らの、
児童生徒の生命身体健康について由々しい事態の進行が懸念される

ハッキリと被ばくの危険性、健康被害の危険性について明言しました。


で、その後結論に入るところでですね、
途端に論調が変わりまして、いろんな理由を付けて、
結局この裁判の当事者は避難させる権利、避難を求める権利もなければ、
郡山市にも避難させる義務はない
という、
前半の結論とどう結びつくのかが分からないような結論になっています。


これがどうしてこのような結論を導くのかについて
少し してきたところをこれから解説させていただきます。

判決の決定がお手元に届いたと思うのですが、
最初の前半部分はこの事案の概要の部分で、

7ページの終わりから3行目から裁判所の判断になっていまして、
このメインテーマは8ページの下から5行目。
ここからがこの裁判のメインテーマの判断です。

最初に裁判所はどういう事を言ったか?と言うと、
福島第一原発によってどのような被害、被ばくが、
この福島に住む子どもたちに及ぼす一般的な認定を行っています。

で、この認定について、基本的には私たちの主張を、ほぼ9割9分認定をしております。

具体的には10ページの真ん中に2というところがあるんですが
私どもは今回の事故によって子どもたちの被害というのは
直ちに被害が起きるようなそういった傾向じゃなくて、
晩発制と言って、ある程度数年経ってから初めて被害が発生するようなそういう健康被害について、
重大な懸念を持っているんだという事を主張していました。

それについて裁判所はこの10ページ2のところで
詳細にこの晩発制被害の症例に関しての事実認定を私たちの主張で認定しています。

矢ケ崎さんの意見書を基にした、チェルノブイリ事故との対比。
これを基にしてチェルノブイリ事故で発生した甲状腺の被害について、
同じような汚染地域である福島県の、これは郡山市ですが、
同等の被害が発生するという事を認定しています。

その後松井英介医師のチェルノブイリの、甲状腺以外のさまざまな疾病に関して、
糖尿病とか心臓病の多発に関する、
この、最近ですね、日本でも出版されましたヤブロコフレポート。
チェルノブイリの詳細な医療事故の報告、これを基にした松井英介氏の報告書、これも認定して、
こういった甲状腺以外の沢山の病気、
糖尿病、心臓病の多発を指摘する意見もあるという事を認定しています。


さらには、今回の甲状腺の検査の結果を踏まえて、北海道の松崎医師が報告書を出しました、
「福島の児童には、被爆から数年後のチェルノブイリの高汚染地域の児童に匹敵する頻度で
甲状腺がんが発生して今後もこの癌が激増する恐れがあるという指摘もある」
ということも認定しています。


で、このような晩発の健康被害が発生するという証拠を認定したうえで、
他方で、では実際にですね、福島県の学校の空間線量がどうかという事についても
私どもが主張した、
これは神戸大学の山内教授が実際にこちらの原告の子どもたちの学校に行って、
詳細に空間線量を測った結果、
年間1ミリシーベルトの基準になるような毎時0.193マイクロシーベルト以下のところは
その測定、152か所の測定のうち1カ所しかないということ。

環境省によって汚染の基準とされた0.23マイクロシーベルトを下回ったところは、
9か所にすぎなかったという山内報告書をここでもきちんと取り上げて認定しています。


空間線量においても郡山に住む子どもたちは
年間1ミリシーベルトを遥かに上回る高い線量のところに暮らしているという事を、
裁判所は認定しています。



他方で、郡山市がこの間ずっと主張してきた、
校庭の表土除去、校庭での除染作業において十分な成果が上がっているという主張に対して、
こういうふうに認定しています。

一定の成果をあげている事は認めるけれども、
いまだ十分な、 これは11ページの下から10行目です。
いまだ十分な成果が得られるとは言えないのであるが、
その主要な理由の一つとして校庭外から飛散するガンマ線の影響が表れていると。

山内教授の指摘をいいます。
ガンマ線は100m以上離れたところから飛来するため、
放射線量を下げるためには、半径数100mの地域一帯を除染しなければならないとされており、
学校周辺、すなわち地域全体の除染を実施しなければ、
学校内の放射線量も下がらないか、除染により放射線量ゼロのためには
屋根瓦や側溝のコンクリート道のアスファルトなどにこびりついたセシウムは、
高圧洗浄によっても除去出来ないため、
屋根のかわらやアスファルトやコンクリートを剥がしての工事のやり直しを要するが、
ガンマ線の被害を考えると地域ぐるみの除染が必要であり、
しかも除染は一回では不十分で何回もする必要があるという事がされている一方、
除染による汚染土の仮置き場が見つからないため、やむなくこれをその地域内に置いている
(学校内においては校庭の一面に埋めてある)
こうした仮置き場が容易に見つからない事が除染の作業が進まない直接な理由とされていると。

このように除染を理由に子どもたちの安全を主張する郡山市には、
除染のむしろ限界、様々な未達成の理由について裁判所は詳細に認定しています。


このような実際にチェルノブイリ事故と対比をして被害を認定し、
なおかつ山内神戸大学教授の測定した実際の子どもたちの学校の空間線量の高い値を認定し、
なおかつ、郡山市が実施している除染の成果が表れない理由についても詳細に認定したうえで、
このように結んでいます。

12ページの終わりから6行目。

以上の事実によれば、郡山市に対して抗告人が通っている学校は
強線量ではないが、低線量の放射線に破断なくさらされていると認められることから、
そうした低線量の放射能に長期間にわたり継続的にさらされることによって
その抗告人の子どもたちの生命身体健康に対する被害の発生が危惧されるところであり、
チェルノブイリ原発事故に一同に発症されたとされる被害状況にかんがみれば、
福島第一原発付近一帯で生活居住する人々、
とりわけ児童生徒の生命身体健康について由々しい事態の進行が懸念されるところである


このようにハッキリと今回の原発事故によって
子どもたちの生命身体健康について由々しい事態の進行が懸念されるときちんと認定しています。

私どもはここまで認定したのは、
実は一審の郡山支部ではこういった認定は全くしておらず、
「100ミリシーベルト以上でなければ健康に被害の証明はない」といった
例の100ミリシーベルト問題を取り上げて今回の被害の問題を蹴ったわけですけれども、
それに対して今回の高等裁判所の認定はこのようにハッキリと
子どもたちの生命身体健康についての由々しき事態の進行が懸念されると認定しました。

そこまで読んだところで私どもは、もうここまで行くと次のだいたい展開が読めるんですが、
さらにこういう展開になっています。
もっとこれを裁判所は、実は厳しい目で把握しています。
こう言っています。

放射性物質により汚染された土壌などを除染するため、
相手方郡山市などの地方公共団体をはじめとする各地方団体や法人などが、
今まで土壌の入れ替えや表土のはく離などに取り組み、
多くの費用と様々な努力が傾注された結果、一定の除染の成果をあげるに至ったとはいえ、
なお広範囲にわたる拡散した放射性物質を直ちに人体に無害とし、
あるいはこれを完全に封じ込めるというような科学技術が
いまだ開発されるに至っていない事は公知の事実であり、
またその大量に発生した汚染物質や、これを含む土壌などの保管を受け入れる先が乏しいこともあって、
これを付近の仮置き場に保管するほかないまま経過していることから、
今なお郡山市の管轄行政区域内にある各地域においては
放射性物質が放出される放射線の被ばくの危険から容易に開放されない状態にあることは、
長期認定の事実により明らかである


こういうふうに言いまして、
郡山市では除染の技術はまだ完全に解されていないし、
除染によって発生した土壌等を保管する場所の問題も解決されていないために
引き続き郡山市に の放射性物質から排出される放射能による被ばくの危険から、
容易に解放されない極めて危険な状態である事が認定できると裁判所は言っています。

これはさらに郡山市の危険性を駄目押しで、
健康被害の問題だけじゃなくて、除染の限界についてもこういう厳しい認定をしています。




で、ここまで認定したうえで、
普通であれば子供たちの避難の問題にいくんですが、
ここからが実は私どもが首をかしげるキツネにつままれる様なロジックの展開がここから始まります。
そのまま読み上げます。

もっとも、郡山市の管轄行政区域においては、
特に強線量の放射線被ばくの恐れがあるとされているわけでも、
また、避難区域等として指定されているわけでもなく、
いまなお多くの児童生徒を含む市民が居住し生活しているところであって、
上記認定にかかる相手方(郡山市)の管轄行政区域における空間線量率を見る限り、
そこで居住生活をする事によりその居住者の年齢や健康状態などの身体状況による差異があるとしても、
この生命身体健康に対しては、放射線被害のしきいちはないとの指摘もあり、
中長期的には懸念が残るものの、
現在直ちに不可逆的な悪影響を及ぼす恐れがあるとまでは証拠上認め難いところである



これは先程井戸弁護士や小出さんが、
子どもたちの生命や健康に対して由々しい事態が進行が懸念されると言っておきながら、
一転して今度は、子どもたちの生命身体健康に対しては
現在直ちに不可逆的な悪影響を及ぼす恐れがあるとまでは証拠上認め難いところであるというふうな、
キツネにつままれる様な認定をここでしています。

でその後、次は14ページなんですが、ここもちっともロジックが分かりません。
そのまま読ませていただきます。
14ページ1行目。

このように福島第一原発から流出した放射性物質から放出される低線量の放射線は、
抗告人が現に居住し生活する空間にあまねく存在しているのであって、
抗告人が現住所に居住して生活し、
そこから相手方(郡山市)の設置する抗告人の中学校に登校する限りは、
その通学する学校外においても、日夜間断なく相当の量の放射線にさらされている事になる


ま、これは正しい事実です。
子どもたちは学校だけではなくて学校外のその居住地域において
昼夜間断なく24時間相当量の放射線に当たっています。
実際上、上記認定の郡山市の管轄行政区域における空間線量率もですね、
ここで数値をあげています。
平成24年の2月から25年の2月の3回の測定値を見ても、
抗告人が平均被ばく量の上限とする0.193マイクロシーベルト毎時の倍以上である
0.41マイクロシーベルト毎時以上に達するものであるということで、
数値も非常に高いと。


で、この数値を前提とする限り、
抗告人が通う中学校において学校生活を送ると考える8時間を除外した
その後の16時間の、学校外での空間生活での生活をした場合、
被ばくするものと算定される1年間の積算追加放射線量は、
抗告人が主張する1ミリシーベルトを3割以上の超過すると。
ようするに1.3ミリシーベルト以上の被ばくをこの抗告人は学校と学校が居合わせたところで
年間で被ばくするんだという事を裁判所は認定しています。

すなわち抗告人は郡山市に引き続き居住する限りは、
郡山市が設置する学校施設以外の生活空間において、
すでに抗告人が生命身体健康に対する被害を回避し得る上限値として使用する年間積算被ばく量
これは年間1ミリシーベルトを超える量の放射線を被ばくすることは避けられない事になると。


従って、学校生活において被ばく量の多寡(たか)に関わらず、
その主張する被害を避ける事が出来ない計算になると。
そしてここにおいて、現在学校施設外での被ばく量を減少させる事が出来るような施設設備のもとで
日常生活を送ったり、あるいは送る事が出来る状況にあるとの特別な事情も認める事が出来ない


そうしてみると、ここからが結論ですね。

抗告人が引き続き郡山市に定住する限りはそれを主張するような、
教育活動の差し止めを求めてみても、
抗告人が被ばく線量の年間積算量の上限と称する量(1ミリシーベルト)
を超える空間線量の被ばくを回避するという目的は達成することはできず、
その回避のためには、そうした空間線量率以下の地域に居住するほか通常取り得る手段はなく、
そうであれば年間の積算空間線量の被曝回避を目的とする抗告人主張の差し止め請求権などの発生を
認める余地はない


というのが裁判所の結論です。


これを読んで直ちに理解することが出来る人は天才か常人ではないと思われます。
実は私ども弁護団もこれが何を言っているのかさっぱり分からず、
先ほども井戸さんが解説していたと思いますが、
彼が分からなければ他の人間でも分からないと思ってもいい位というのが、
ちんぷんかんぷんのロジックです。

どうもその…私が思うには
この、今の郡山市の事態は、
学校内における1年間の被ばく量と、
学校外におけるその子どもが通う環境での1年間の被ばく量を合計すると、
もう悠に1ミリシーベルトを超えると。
したがって、このような場所にいる以上は、
「年間1ミリシーベルト以下で教育をせよ」という事を実現することは不可能であると。

不可能であるから私たちは避難させろ」と言っているのだけども、
不可能であるからそういうことを求める権利はない」というふうに裁判所は結論付けたんですね。


そこがどうしても理解できないんですが、
ただ裁判所の結論はそういうロジックです。

もうここはとても人が住めるような環境じゃないから、
ここで住むような事を求める、
「ここで住んで教育するような事を求める権利はない」というような事を言っている
ように思います。

ただ、まァ、それでバッサリ切るんだと裁判所は本当に無茶苦茶なんですが、
後半でですね、もう一回私どもが実は主張した問題にも一応答えています。
私どもは裁判所があそういうような言い逃れをしてくることは想定して、
年間1ミリシーベルト以下の安全な場所で、それは郡山市に限らないで、
外でもいいからそこに避難して教育せよという要求もしているので、
それについて次の15ページの(5)のところでこの問題についても一応裁判所は回答しています。

これはある意味ではここが本命です。
私どもは郡山市内で教育を工夫してやれなんていうことはもう不可能ですので、
そういう主張をするつもりなんてなくて、
「郡山市外の安全な場所で教育をしろ」ということを決めているんで、
それに対する回答がここです。

こういうふうに裁判所は言っています。

次に抗告人は一定の空間線量率以外の、
これは1ミリシーベルト以下の学校施設における教育活動の実現を請求する


と言っています。
これについて検討したものがここです。


上記(4)で説時したところによれば、
抗告人が現に居住している自宅周辺を含む郡山市の管轄行政区域においては
あまねく放射性物質による放射線被ばくが避けられないのであって、
抗告人が主張するような年間1ミリシーベルト以下という積算空間線量率の環境が確保されるような
学校生活を含めた生活を送るとなると、抗告人は自宅を離れた地に転居して、
ようするに郡山市外の場所に転居して教育活動を受けることは避けることができない


ま、これはまともな事を言っています。


「抗告人はそうした前提で上記請求をするようであるが」と。
ま、これも一応行わせ、え、そんな回りくどい事は、「しろ」と言っているんですが、


するようであるが、他方で郡山市は現にその設置する抗告人の中学校で、
多数の生徒に教育活動を行っているものであるところ、
現にその学校施設の教育を受けている生徒がそこにおり、
その教育活動を継続する事が、
直ちにその生徒の生命身体健康の安全を侵害する危険があるとまでは認め得る証拠がないから

ということで、
郡山市は現在の学校施設での教育活動を継続する事が直ちに不当であると言うべき物ではない

という事を
結論として導いています。


ここが全く分からないんですが、
さっき12ページの終わりから13ページのところで、
「福島第一原発付近一帯に居住する人と、とりわけ児童生徒の生命身体健康について由々しい事態の進行を懸念するところである」という事を決めておきながら、
郡山市の現在の学校施設の教育活動を継続することは
「彼らの生命身体の安全を侵害するほどの危険があるとまでは認め得る証拠もない」という事です。

先ほどの12ページの1行目で主張している事と15ページのところがどういう関係になるのか?

小出さんがおっしゃったようにこの各論がどう繋がるのか、
どう関係あるのかというのが全く理解が出来ません。
関連性が書いてありません。
で、さらに16ページでこう言っています。

ところで抗告人が転居する地域、
転校する地域に、郡山市は学校施設を開設して、そこで教育活動を施すという事は、
現に抗告人が被っている放射線被害から開放される一つの選択肢であろうけれども


これは認定しています。
抗告人が今被っている放射線被害から解放される選択肢の一つとして
郡山市が別の安全な地域に学校の施設を解説してそこで教育活動を施す事はひとつの選択肢であるという事を
裁判所は、ある意味初めて認定しました。

ただしその後がこういう展開になっています。

そうした転居先の地での教育はその地における教育機関によって行われることが原則であり、
遠隔地での公的教育機関が、わざわざ地元の公的機関を差し置いてまで、
別の学校施設を開設する必要があるとはいえない


これは、原則は分かるんですが、私どもは常々、
「今は原則は言っている場合ではない」と、「非常時である」と。
「前代未聞の非常時に対してどういうふうに決断すべきか」という事を求めているんですが、
それについては全く触れていません。


その上で、転居する場合には
転居先での公的教育機関による教育を受けることでその目的を充分に達する事が出来るはずである


これは、自主避難という事を前提にした議論です。
なぜなら「転居先の公的教育機関による教育を受ける」という事は、
「子どもたちが自分で自主避難して転校しろ」という意味です。

しかし私どもは
「郡山市が自ら子どもたちを安全な所で教育する義務を果たせ。
そのために具体的に安全な場所で学校施設を開設してそこで教育活動を施せ」と言っているんだけれども、
その問題に対して答えないで、
「転校するんだったら転校先の公的教育機関に教育を受けることで目的は十分に達成できる」と。

まるで郡山市が転居先の教育機関に転校するかのような議論をしていますが、
これはあくまでも子どもが自主避難する事を前提にした議論であり、
全くかみ合っていません。

で、これについてさらにこう言っています。

抗告人はこの点について、同窓の友人らをはじめとする教育環境を従事するべきであるとして、
個人での自主転居(自主避難)に否定的な意見を述べるが、
本件は抗告人が現地(郡山地裁)に一貫して主張し、抗告理由においても強調するように、
郡山市の管轄行政区域にいる全ての児童生徒に対する教育活動に関する請求ではなく、
あくまでも抗告人個人の放射線被ばくを回避するため
その人格権ないし安全配慮義務の履行請求権に基づく抗告人個人の請求なのであるから、
他の生徒の動向については当然にこれを斟酌すべき物ではない。
としても、就学希望者やその収容能力その他の関係上、
希望者全員が同一の施設で教育を受ける事が出来るとは限らないはずであり、
教育上の配慮の要請があると入っても、各個別の対応を取る事さえあり得よう



これもなんかお経のようで、ほとんど念仏を唱えているようで、
え…、わたくしどもは理解が出来ません。
一応続けます。

したがって、
何がしたがってか分かりませんが、

抗告人が主張するような集団疎開は、
抗告人が主張するような被ばく被害を回避する一つの抜本的方策として
教育行政上考慮すべき選択肢ではあろう


こういう認定はしています。
なんか上げたり下げたりなんですが、
ここでは初めて裁判所がこういうふうに、
私どもが直接裁判の目的ではないんだけど裁判の暴論としてですね、
集団疎開というものが抗告人をはじめとする
同じような危険な環境におかれている福島県の多くの子どもたちの
被ばく被害を回避するための抜本的な方向性だという事を主張してきましたが
これを裁判所が自ら
「一つの抜本的な方策の一つとして教育上考慮すべき選択肢である」ということは認めました。

しかしここからまた「けれども」というふうに文書が続きます。

けれども、
もとより抗告人個人の請求件に係る本件請求に関する判断の対象外というべきものである


ということで、
「この問題は個人については集団避難という事を考慮することはできない」と言っています。

ここに関してはちょっとひとこと言わせていただきたい、実は
「抗告人は何故自主避難しないのか?」について裁判所から質問がありまして、
それに対する回答をした中で、
ようするに自主避難というのはお金の問題、経済的な理由の問題も大きいけれども、
友人の問題。
やっぱり自分ひとりだけでですね、仲間を置いて逃げることはできないんだと、
同じ様な危険にいて同じような思いをしている子どもたち、仲間と一緒に逃げたいと。
それが実現できるようでなければ自分は自主避難できないと。
それはあくまでも自分だけ逃げる事が出来ない事が、困難であることを説明にいったんです。
ところが裁判所はそういうことをですね、
自主避難が困難であるという事を認めるんじゃなくて、
他の友達のですね、他の人間の事を配慮してこの問題を議論してはいけないみたいな事を言うんですね。

私どもはなにも、他の人間も一緒に避難できるようにしろという要求をしているんじゃなくて、
ここでその問題になっている、抗告人が、この子どもが
「なんで自分で逃げられないんですか?」と裁判所に聞かれたんで、
自分はこういう友達関係が非常に大事だから自主避難する事が出来ないんですよという事、
その自主避難が困難な理由をいろいろと説明したにもかかわらず、
裁判所はそれを正面から受け止めて、
「だから自主避難は困難である」という認定をするんだったらわかるんですけれども、

他の子どもの事を言いだすようなことはこの裁判の問題からは外れるというような事をですね、言って、
無理やり他の子どもの事考える事をこの裁判の事実認定から外すんじゃないかという事は、
この抗告人が自主避難できない理由についての判断を正面から取り上げるという事はしませんでした。

これは非常におかしな、チンプンカンプンじゃなくて、不当な判断だと思います。
その上でこういうふうに裁判所は結論にもっていきます。
16ページの下から4行目です。

このように抗告人の主張するような放射線被害を回避するためには、
現居住から転居して郡山市の管轄行政区域外に居住する事を前提とするほかはなく、
その場合には、その転居先での公的教育機関が開設置した学校施設で
学校教育を受けることに何らの妨げもない以上は、


これはもう、「自主避難をすればいいんだ」という議論ですね。

抗告人の人格権に基づく妨害排除請求として、
郡山市の管轄行政区域外の地で相手方に学校教育を行う事を求めることはできず


ようするに郡山市以外の地で郡山市に学校教育を求めることはできないんだと。


相手方(郡山市)はその管轄行政区域外に移住する事になるものに対する関係で、
引き続き教育活動の実施をすべき安全配慮義務を負うものではない


という事を言う訳です。
なぜこの郡山市がですね、
市内で教育する事が危険な時に、市外に、安全な所に行って教育することが、そういう義務がないのか?
その安全配慮義務がないと言っているんですけれども、
その理由に関しては全く書いてありません。
というふうに私は思うんです。
結論としては、
郡山市は郡山市の市内がもう危険であって、
その中で教育すると子どもたちの生命身体健康に対する由々しき事態が危惧されるという事を言っておきながら、
それをですね、郡山市外の場所で教育をするような、
そのような安全配慮義務がないんだというふうに裁判所は認定して、こちらの主張を退けました。

さらにこれは保全の必要性と言いまして、
今回は本来の裁判と違って仮処分と言ってですね、緊急の救済を求める裁判なので、
その場合には緊急の救済を求める必要性について、一応証明をする必要があります。

一般的には生命身体の健康に関する危害が認められる場合には、
もうこれは緊急にですね、この生命身体を守る必要があるので、
わざわざそれ以上仮処分の必要性を議論する必要はないんですが、
今回これについて裁判所は次のように言っています。
17ぺーじの(6)です。

上記(4)(5)のとおり、
抗告人が主張するような被ばくを逃れる環境の下で教育を受けるためには、
郡山市が管轄行政区域外に学校施設を設ける場合を含め、転居する以外には他に方策がない


ということ。
これを裁判所は認めた訳ですね。
この「安全な環境で教育をするためには郡山市は市外に出て教育するしかないんだけども、
証拠によればですね、

今回の抗告人の父親は
抗告人の居住地(郡山市)から通勤する事が出来ないような地に単身赴任をしており、
東北地方太平洋沖地震直後には抗告人の家族も父親方に避難することを検討したが、
抗告人が友人と離れて生活することを嫌がったことなどもあり、実現には至らなかった事が認められる。
そうであれば抗告人が郡山市の管轄行政区域外(郡山市外のですね)安全な地に転居して
被ばくを逃れる環境で教育を受けることには大きな支障があるとはいえず、
これを困難とすべき事情は証拠上認める事が出来ない。



ま、簡単に言えば、自主避難しようと思えば容易にできるんだと。
従ってこの子がですね、「自主避難できない」と言っているのは理由はないんだと。
ようするに簡単に言えば、勝手なわがままを言っているににすぎないというそういう理屈で蹴っています。
さらに結論として、


そうしてみると、
抗告人についてその人格権ないし安全配慮義務の履行請求件に基づいて教育活動を差し止めてみても
その主張する権利の保全(仮処分のですね)につながるものとは言えず、
また、抗告人の主張する被ばくを回避するためには転居するほかないが


これは認めているんですね。
「被ばくを回避するためには郡山市にいてはいけない」と、転居するしかないんだけれども、ただし、
転居する事については、抗告人には格別の支障があるとは認められないんだと。
ようするに簡単に自主避難できるんだと。


しかも、転居先の公的教育機関による教育を受ける事にも特別に妨げもないはずであるから、
抗告人の主張するような、
抗告人に生ずる著しい損害や危機をもたらすような被ばくを避けるために
抗告人が求める仮処分を出す必要性があるとは認めることはできない



ようするに自主避難すればこの子は容易にですね、郡山市から安全な場所に逃げられるんだから、
この裁判で仮処分で救済を求める必要性はないという、
以上から細かい処分というのが認められないというのが裁判所の結論です。

53:40

二回目なんですが、一回目よりは少しは中身が理解できたんですが、
まだ半分ぐらいチンプンカンプンな判決でよく分かりません。
ただ裁判所は、今年1月22日に3回の裁判の最終に審議を終えまして、
当初私どもは数週間で結論が出ると思っていました。
2月の終わりか3月の初めにはもう結論は出ると思っていたんですが、
それがここまで、さらに二カ月近くこの判断が出るのが延びたというのは、
おそらく裁判所の中でどういう判断を下すか、喧々諤々の議論があったものだと思われます。

その喧々諤々の議論が、
私の率直な感想としては十分に整理整頓されないまま、放り出されたままですね、
なんか、矛盾したものが平気でというか、
並行したまま判決の中にぶち込まれているという印象を受けます。

簡単に言うと、
前半の判決を書いた裁判官と、後半の判決を書いた裁判官が別人間で、
ひょっとしたら二人は全く逆の結論を持っていたんじゃないかと。

前半の裁判官は子どもを被曝させるという事で由々しい事態だという事を認定し、
後半の裁判官はとは言ってもやっぱり子供を避難させるのはいろいろと問題があるよねということで、
結論としては子どもたちを避難させないという結論を打ち出して、
したがって前半と後半では支離滅裂というか、脈略がどうしてもつかめない形になってて、
おそらくその前半と後半をつなげるために裁判官で議論をしたんでしょうけれども、


裁判所でこのように判断が割れた理由は
私どもでこの疎開裁判に期待をかける、子どもを守って欲しいという、
その声が非常に大きなものになってきていると、
それにかける思いを裁判所は真摯に受け止めざるを得なくて、
それでここまで厳しい判断を。
内容がある意味では期待をする判断も入っていたように思われます。

~57:00



仙台高等裁判所による判決文(PDF)
http://www.ourplanet-tv.org/files/20130424sokai.pdf







「一歩離れて今の日本を見てみよう」お隣韓国の番組”世界は今”(動画&内容書き出し)
ふくしま集団疎開裁判が始まったばかりの時の韓国放送動画

原発と国「もと裁判官に聞く司法の限界」井戸謙一氏 
たねまきジャーナル1/25(内容書き出し・参考あり)



「法の番人たる裁判所までもが、いわゆる原発ムラによる圧力に屈したのです!」郡山市


モニタリングポストに人為的操作!?「郡山・相馬・南相馬30~65%も少なく表示」
10/5矢ケ崎克馬氏(会見内容書き出し・資料)


世界に訴える!<ジュネーブ後半>フェルネックス博士・柳原弁護士・福島の母・郡山市中学生
(ツイート同時通訳と日本語は書き出し)


<選挙・政党の判断材料>高線量地域に住む子どもたちを疎開させるか否か?各党の答
12/13ふくしま集団疎開裁判より


「マスコミが伝えない福島の現実・被害の現状」柳原弁護士
1/18ふくしま疎開裁判会見(内容書き出し)




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確かに、分かりにくい矛盾した判決と思いますが、
この判決文、裁判所が「郡山にそのまま住んでいては危険だ」という事を認めたと私は受け止めました。
生命身体健康を守りたいなら避難しろと裁判所が言っているのだと。
ふくしま集団疎開裁判の訴えは却下されたけれど、
「それぞれ自主的に避難してでも、自分の身は自分で守れ!」と裁判所が言っているように感じました。

今回の判決はとても重大な意味を持っていると思います。


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